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絶対的単独親権制度の深い闇

1.猪野弁護士のブログと事件について
 猪野亨弁護士は、『日本では離婚後の共同親権制度の導入は不要であるばかりか、むしろ弊害の方が大きい』という趣旨の主張を、氏のツイッターやブログで繰り返している。
 私は、猪野氏が2020年6月29日付でブログに載せた記事「秋田女児殺人事件を題材に考える 離婚後の共同親権があれば子の虐待は防げるのか)」(http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-4511.html)を読み、少なくとも三つの問題があるから再考してはどうかと提案した。しかし、この文章を書いている7月7日現在、猪野氏がブログ記事を掲載したままであるので、より詳しく、猪野弁護士のブログの問題点を考察することにした。

 なお、猪野弁護士がブログの中で引用している記事がこちら。
https://www.excite.co.jp/news/article/Tablo_tablo_12624/

 しかし、上記の記事を書いた西牟田靖氏は他にも詳しい記事を書いており、検索すれば簡単に見つけることができた。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56148
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56149
 ひと一人の尊い生命が奪われた事案を題材になにごとかを論じようとするのであれば、できるだけ事実を正確に把握すべきではなかろうか。猪野氏の態度は誠実さを欠いていると言わざるを得ない。(「この父親の主張の中にも『私自身、回復次第働ける』という主張がありますが、その趣旨は不明確です。」と猪野氏はしているが、きちんと他の記事に当たれば、父親がうつ病から統合失調症を発症し、さらに病気の影響から犯罪を犯してしまったため、親権を裁判で争っても勝ち目がなかったことは分かる。)

2.精神疾患があることを親権適格性に直ちに結びつけることは妥当なのか
 私が、猪野氏のブログの中で最大の問題と感じたのが、この点である。氏は、そのブログの中で殺害された子の母親が精神疾患を患っていたことをあげて、「母親の精神疾患が原因かと思われ、確かに親権者としての適格性には疑義が生じます。」と述べる。
 しかし、この猪野弁護士の考えを敷衍(ふえん)していけば、『精神疾患、精神障害、身体障害などの、その人が先天的もしくは後天的に持つ負の要素を子の親権者を定めるにあたって考慮することは当然である』という考えに結びついていく。私は、このような考え方は「法の下の平等」を定めた憲法第14条に反し、許されないものと考える。以下、詳しく説明する。
【参考】憲法14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 まず、「法の下の平等」とは、「法の前の平等」と「法の平等」を意味し、全ての人が法の適用において差別されないというだけでなく、法制度自体にも差別はあってはならない、という意味である。
 したがって、「親権者の決定」という法適用の場面だけでなく、「親権者を一人に決定させる」という法制度にも差別があってはならない。
 もっとも、これに対しては猪野弁護士は『子の福祉のために親権者適格を考慮し、より適格性のある者を親権者とするのは、合理的な理由があり、許される差別である』と反論するのであろう。(なお、別異の取り扱いをすることに合理的な理由がある場合は、「合理的区別」と呼び、「許される差別」の語は以下は用いない。)
 父母の一方のみを親権者とする際に、当事者の抱える精神疾患、その他の疾患あるいは身体障害という要素を親権適格性を損ねる要素と捉えることに合理的な理由があるとすれば、「子の福祉(利益)」以外には考えられない。しかし、疾患や障害を抱えていたとしても「婚姻中は当然に共同親権者」とされるのであり、疾患や障害があるというだけでは親権は制限されない。制限されるのは、家庭裁判所の判断によって「具体的に子の福祉を害するおそれがある」と判断された場合のみである。この点、父母が協力的な婚姻中と父母が対立しやすい離婚後では状況が異なるとして正当化する意見も見られるが、対立が生じることを前提に、そのための対策を講じることも十分に可能である以上、全面的に親権を奪うことは平等違反となるのである。
 結局、離婚後の絶対的単独親権制度では、父母の一方を親権者と決めなければならないため、父母を比較して優劣を決しなければならない。そのような発想からは、精神疾患や身体障害などは「減点因子」としか捉えられなくなるのは必然であろう。そして、こうした精神疾患や身体障害などの要素を「減点因子」として考慮することを当然とする考え方は、人の価値に優劣を付ける優生思想とも結びつきやすいと思う。
 猪野弁護士は差別を許容する差別主義者ではないと考えるが、絶対的単独親権制度に固執するあまり、精神疾患を持つ人を無意識に差別してしまった。私は、ここに「絶対的単独親権制度の深い闇」を見るのである。
 

3.継続性の原則について
 猪野弁護士は、「継続性の原則の理解は誤りです。継続性の原則はあくまで別居時までの監護をどちらが主に担っていたのかという観点であり、別居後の事情ではありません。」と、これが明白な原則であるかのように述べる。しかし、猪野氏が主張する「継続性の原則」を明確に述べたような判例は存在しない(裁判例ではなく、判例。)
 別居の経緯がどのようなものであれ、「現状、子の監護に問題がないのであればあえて子の環境を変える(元に戻す)必要はない」という判断を裁判所はしているというのが、実務を経験した者の率直な感想ではないだろうか。

4.共同親権の児童虐待への有効性
 まず、現に起きてしまった児童虐待事件から、「もし、共同親権だったらどうだっただろう」という思考をたどる以上、ある事案について「共同親権だったら児童虐待は絶対に防げた」と断言するのは不可能である。
 また、一つの事件だけを取り上げて、共同親権の児童虐待への有効性を検証したことにもならないことは当然である。
 児童虐待は、児童相談所の強化や近所の住民の無関心を少しでも減らすなど、共同親権以外の方法も真剣に模索されるべきであるが、子どもの見守りの目が増えるという点で共同親権も一つの方策ではあろう。

5.まとめ
 3と4で述べたことは見解の相違かもしれない。しかし、2で述べた「差別」の問題は見解の相違では済まないはずである。猪野氏に反論があるなら、ぜひともそれを展開してほしいものである。

 最後までお読みいただいた方に深謝いたします。 

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