「戦わない自由」も 「逃げる自由」もあるのではないだろうか

       目黒真実(元日本語教師/肺腺癌ステージ4bにて在宅療養中)

 ウクライナ戦争について調べていた時、ジャーナリスト鮫島浩さんの、こんな一文が目に止まった。

 「個人に命の犠牲を強いることを避けるために、政府があり、外交がある。個人から『戦わない自由』を奪って戦場に送り出す状況を招いた時点で、その政府はもう政府として失格なのだ。戦争の勃発は外交の失敗なのである。」

 この言葉は胸に刻んでおかなければならないと思う。いったん戦争が始まってしまうと、「戦え!」一色になり、どちらかがどちらかを倒すか、どちらもが倒れるかしか止めようがなくなってしまう、そんな現実を私たちは今、目の当たりにしている。ゼレンスキー大統領にどうして台湾民進党の慎重さ(中国との戦争回避のために「現状維持」を保持する)がなかったかという問題があるとしても、ウクライナ国民にとって、このロシアの軍事侵攻に対する戦いが自衛のための戦争であることは疑う余地はない。

 しかし、最近思うのは、自分たちがウクライナのような状況に置かれたときは、「戦わない自由」も「逃げる自由」もあるんじゃないかということだ。ゼレンスキー大統領は国民総動員令に署名して、18歳から60歳までの男性の出国を禁止したが、私たち日本人は、これが日本で実施された時のことを考えたことがあるのだろうか。果たして日本国民は、このような国民総動員令を是とするのだろうか。

 私は法律の専門家でないのでわからないのだが、現憲法下で日本はウクライナのような国民総動員令を発することができるのだろうか。誰か詳しい方に教えていただきたいと思う。心配なのは、この問題が現在国会で進行している改憲作業の「緊急事態条項の新設」と関係していないかということだ。緊急事態においては、国民総動員令のような権限も全て政府に委ねられるのだろうか。

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