「交渉による解決」以外にウクライナを破滅から防ぐ道はない

 私たちの多くが望むウクライナ戦争終結の最善のシナリオは、ウクライナがロシアに勝ってロシア軍をウクライナから撤退させることだろうが、果たしてこの戦争でそれは可能なのだろうか。それをどう考えるかで、この戦争を終結させるための道が二つに分かれていくように思う。一つは最後まで戦う道、もう一つは交渉で解決する道。それをめぐって、ウクライナ支援をめぐる私たちの議論も分かれることになる。

 私の見方からすると、この戦争が長引けば長引くほど、自国の領土が戦場になっているウクライナの方がロシアの何倍も疲弊し破壊されることになる。また、この戦争が軍事的にエスカレートし、ロシアが追い詰められれば追い詰められるほど、ロシアによる核兵器使用の可能性は高まることになる。そして、もし核兵器が使用されるとき、国土が焦土化し多くの人命を失うのはウクライナであって、ロシアでもNATO諸国でもない。仮にそうなってもアメリカ・NATO諸国は全面的核戦争になるのを恐れ、ウクライナに派兵することはないだろう。これがこの戦争の現実だと思う。

 それはチョムスキー教授が言うように、

ウクライナの自衛努力を支援することは正当だが、支援の規模を慎重に調整しなければ、いたずらに紛争をエスカレートさせ、ウクライナの破壊につながるだけである。ウクライナをさらなる破壊から救うために必要なことは、交渉による解決である。この戦争が終わるのは二つのケースしかない。ひとつは、どちらか一方が破壊される場合だ。ロシアが破壊されることはない。つまりウクライナが破壊される場合である。もうひとつは、交渉による解決だ。ウクライナの人々をさらなる大惨事から救うため、交渉による和解の可能性を探ることが最大の焦点となるべきである。

 ウクライナの人々は「進む(戦う)も地獄、退く(降伏)も地獄」という状況に立たされている。降伏は論外として、最後まで戦う道(主戦論)もまた、ウクライナに破滅をもたらすことになる。だからこそ、交渉による停戦の可能性を探る必要があるのであり、そのために私たちは何ができるかが問われているのだと思う。

 しかし、この戦争がアメリカ主導で「民主vs専制」の戦争へと転化するにつれて、ますます停戦への道は遠ざかることになる。アメリカやNATOの軍事支援を必要とするウクライナ政府は、ますます自己決定権を失い、ロシア弱体化のために最後まで戦うことを担わされるようになる。いみじくもチョムスキー教授が指摘するように、「バイデンがその方針を貫く限り『最後の一人になるまで、ウクライナ人は戦え』というのと同じ」なのだ。バイデンはこの戦争を止めようとしないし、ロシアとの交渉も拒否している。唯一の関心はロシアの弱体化であり、ウクライナの国民の未来ではないからだ。プーチンは?わからない。わかっているのは、プーチンがこの戦争をアメリカ・NATOとの戦争と考えていることだ。

 ウクライナ政府が正式に日本政府に対して武器供与を申し入れをしたと言われる。私が今、最も危惧しているのは、ウクライナを勝たせたいという国民感情が「日本もウクライナに武器供与すべきだ」「より経済制裁を強めよ」「ロシアに一歩たりとも譲歩するな」という主戦論に流されていくことだ。かつて日本にはそのような歴史を歩んだことがあった。こうした「正義の味方症候群」とも言うべき無責任な主戦論が専門家と言われる人たちによっても煽られているが、なぜか彼らはその論理の行き着く先がどうなるか語ろうとしない。ウクライナの人々のことを本当に考えているのであれば、核戦争の危機が現実に存在する現在、当事者でもない我々が、「徹底抗戦せよ」「ロシアに譲歩するな」に等しいような軽々しい主張はできないはずだ。それとも主戦論者たちは、プーチンは核を使うことはないと、プーチンの理性に期待しているのだろうか。

 重要なのは、いかにアメリカとロシアを停戦交渉の場に引き出すかにある。そのような国際世論をどう作り出すかにある。だからこそ私は、ロシアの即時停戦、即時撤退のスローガンと同時に、「米ロはウクライナ停戦に向けて首脳会談を開け」というスローガンを掲げるべきだと考えてきた。ウクライナをめぐってアメリカとロシアという二つの覇権主義がもたらしたこの戦争は、バイデンとプーチンが話をつけるしか終結の道はない。

 先日、ウクライナ情勢をめぐり、NHKの「日曜討論」で、ロシアに対する制裁措置やウクライナへの支援策のあり方について、与野党が意見を交わしていた。しかし、ウクライナへの武器供与にはっきりと「ノー」の姿勢を示したのは共産党とれいわのみで、立憲民主党の態度は曖昧、むしろ政府に対して石油・天然ガス開発事業『サハリン1・2』からの撤退を迫るなど、経済制裁の強化を迫る始末だった。今、ウクライナへの武器供与を認めるのは、台湾有事において日本が台湾に武器供与するのと同じ結果になるということを認識しなければならない。その結果、台湾が第二のウクライナとなり、日本が戦場になることが想像できないのだろうか。このままではウクライナへの武器供与や、6月に予定されているNATO首脳会議に日本が参加するかどうかをめぐって立憲政党は分裂しかねない。もしそうなった場合、護憲勢力は参院選を前にして総崩れとなることだろう。

 日本は「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(9条)ことを謳う国ではなかったのか。日本ならではの果たすべき国際貢献の道があるのではないかと思う。それは日本が「不戦の国」から「戦争を止める国」になることではないだろうか。日本が中国やインド、サウジアラビアなどの中東諸国、途上国にも働きかけ、国際社会の中でウクライナ停戦を求める国際世論を作り出すことではないのだろうか。もちろん、日米安保法制下、対米従属の状態にある日本にそれを求める困難は承知しているが、それでも日本政府に対して「戦争を止める国」になることを求め続けるのが立憲野党の責務ではないかと思う。今ほど対米自立が求められている時はないと思う。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?