歌、音楽、そして
歌が好きだ。
食べることより、寝ることより、歌が好きだ。
どんな歌でもいい。
J-POPでも演歌でもアニソンでもクラシックでも洋楽でも、歌えれば歌う。
ちなみに英語はテキトー、ラテン語もテキトーだけど(笑)
今は歌詞サイトがあるので検索すれば大抵わかるんだけど、私の子供の頃は、メロディーも歌詞も完全耳コピ。とにかくテレビやラジオの歌番組で好きな曲がかかれば、耳をそばだてて五感をフル稼働させて覚える。触感はいらないか。
そして歌う。どこでも歌う。覚えているフレーズだけでも。母親の買い物についていくときにも歌う。周りの目などお構い無し。そうやって歌いまくって歌を覚える。
お陰で今もその癖が抜けず、「母ちゃん、恥ずかしいからやめて」と娘に言われる。でもやめない。
何故私はこんなにも歌が好きなのか。
それは父親の遺伝だと思う。
父親は本気で、音大で声楽を勉強したいと思っていたらしい。家庭の事情があって、結局音大進学を諦め高校卒業後就職したが、社会人合唱団に入ってバリトンパートを担った。私にはホントに小さい頃に一度だけ聴きに行ったことがあったくらいの記憶しかない。
なぜ気付いたかというと、我が家にわずかに残った父親の遺品の中に、コールユーブンゲンとコンコーネ50番があったからだ。
声楽を志す方なら知らぬはずはないらしいが、子供の頃にその教本を見た私は、「ピアノの本じゃないから、多分声楽の本だろうなぁ」くらいしか考えが及ばなかった。
今やWikipediaなるもので何でも調べられる。歌詞サイトといいWikipediaといい、ある意味時代が進んだわぁ。
声楽の話に戻る。
父親は、普段から私と同じように、道の真ん中でも鼻唄ではなくがっつりと歌を歌っていた。勿論、響き渡るほどではない。しかしすれ違う人は間違いなく振り返った。ジャンルは演歌でもクラシックでも。きっと父親の頭の中には、常に音楽が鳴り渡っていたのだろう。
そして、いつも発声練習らしきものをしていた。
腹筋を素早く動かして「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ、…」と笑うような呼吸をしていた。それも歩きながら。そして幼稚園生になったくらいの私にも「やってみろ」と言った。
これが意外にもすぐ出来たような記憶がある。
父親はそれが嬉しかったのかもしれない。
その頃、私はかのCMでも有名なヤマハ音楽教室に通い始め、音楽の楽しさを目一杯享受していた時期でもあったので、ますます父親の期待値が上がった。
「いつか娘の伴奏で歌いたい」
という夢を抱いていた父親の期待を担った私は、その後声楽ではなくピアノの道へ進む。夢を叶えさせてあげたかった。
しかし、ここで壁にぶつかる。
決定的だったのは、指が短く手が小さかったことだ。
親指から小指まで、オクターブ届くのがやっと。鍵盤を掴むように弾くというのが私には理解できなかった。
ここで諦めず本気で音大に挑む人たちは、無理やり指と指の間を拡げて皮膚を切ったり、毎日広げる訓練をして手の骨格すら変えると聞いたことがある。
「手が小さくたって、才能があればカバーできるでしょ」と思われるだろう。確かにその通りだ。
しかし、音楽が楽しくて仕方がなくても、才能には限界がある。そして、私はピアノの練習というものが恐ろしく苦手だった。普通の手の大きさなら弾けるパッセージも、指が届かなかったり弾けなかったりするとどんどん苦痛となる。単に努力が足りなかっただけなのかもしれない。それも才能だと言われればそれまでだ。
――結局私はピアノへの情熱を無くしてしまった。
父親には悪いと思ったが、こればかりはもう戻って来なかった。
その代わり、違う方へとその情熱を振り向けた。
それが吹奏楽だった。そして、縁があったのかどうなのかいまだに不明だが、エラく肺活量の必要な楽器を担当することになった。――フレンチホルンだ。
あのぐるぐる細い管が巡りめぐって目を回しそうなあの楽器。ウルトラセブンOPの「セブンセブンセブン! ぱおーん」のぱおーんの音を担当している楽器だ(わからない人はお父さんお母さんに聞いて…)。
これなら手の大きさは関係無い。肺活量は鍛えればいくらでも多くできる。好きな音楽を好きなだけ堪能できる。難しいパッセージだって、練習すればいくらだって実現可能だ。
吹奏楽の世界にどっぷりと中高6年間はまり、授業より部活の時間を何よりも大切と思っていた。
しかしそれもそこでストップした。進学した大学には吹奏楽部が無かったのだ。
(声楽の話はどこに行ったの!? と思われた方、暫しご猶予を…)
結局私は音楽の道に進むことなくOLになり、結婚し、子供ができた。音楽とは無縁の人生になりつつある。
それでももしもう一度勉強できるチャンスがあるなら、間違い無く音楽を勉強し直したい。それも声楽だ。あの幼稚園生の頃に父親に「やってみろ」と言われた、あの発声練習から私の音楽との、歌との関わりが始まっていたのだ。
――しかし、いい年をしてそこまでの瞬発力はもう残っていない。むしろその費用を子供の教育費に充てることの方が大切だ。
そして最初に戻る。
このやり場の無いもやもやを、実現できない夢を、私はとにかく歌うことで昇華しているのだろうと思う。それは、父親が叶えられなかった夢でもあるから。父親とは違う音楽が頭の中に鳴り渡っていても、たぶんDNAのレベルでは同じだと信じている。もしかしたら、歌うことで父親の気持ちをもっと知りたいという願望を叶えようとしているのかもしれない。
今は実家に帰ることもままならないが、今度帰ることがあったら、あのコールユーブンゲンとコンコーネ50番を持って帰ろう。家では旦那も娘も、私の歌声に「うるさい」と文句を言うけれど、こればかりは譲らないんだ。
ジャンルなんて関係無い。
誰に聴いてもらわなくても、自己満足でも。
歌が好きで好きで仕方がないから、私は歌うのだ。
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