第2章: スタートアップに必要なスキルを習得する まで


スタートアップに必要なスキルを習得するまで

さあシードアクセラレーターについての知識が身に付いたところでいよいよ起業です、といいたいところですが、起業する前に色々な下準備が必要ですよね。実は私が今回起業に挑戦したのは2度目です。1度目は本当に何も分からないところからスタートし、すぐに頓挫してしまいました。起業、というよりも、起業の助走の状態でつまずいたという感じでしょうか。

そこで今回のシードアクセラレーターに挑戦する前の話から始めましょう。話は2005年までさかのぼります。ちょっとしたタイムトリップです。

あこがれのスタートアップ
2005年はみなさんにとってどういった年だったでしょうか?

2004年に日本からイギリスへ移住した私にとっては、ようやくイギリスの暮らしになれてきた時でした。アテネオリンピックの翌年にあった2012年のオリンピック開催地の最終投票では下馬評の高かったパリを退け、ロンドンがオリンピック開催を決めた年でもあります。ちょうど2020年のオリンピックが決まった東京のような「これからこの町も活性化していくんだな」といった期待感に満ちあふれた年でもあります。

その8月、休暇中のイギリスからシアトル行きの飛行機の機内で何げなく読んだ雑誌の記事が私の人生を変える転機になりました。 その記事では当時注目の世界中のスタートアップが取り上げられていたのですが、その中でもとりわけ目を引いたのが、ZOPAというイギリスの会社でした。 お金のイーベイ(日本だとヤフーオークションのほうが分かりやすいでしょうか)と例えられたこの会社は、それまで銀行が仲介していた融資事業を個人間で直接可能とするサービスを提供するものでした。もちろんただ単純な個人間貸し借りだとリスクが非常に高いですが、そこは融資先を分散したり、取引履歴に基づいた与信状況も提供してくれます。 一番心を揺るがせたのは彼らのミッションステートメントにでてきたフリーフォーマー。 これは終身雇用制が過去のものになった今、個人が会社に帰属した時代は終わり、各プロジェクトごとに様々なスキルを持った人たちが集まる仕事形態が一般化しつつある。しかしながらいかに安定した仕事をしているかで融資を決定するいまの銀行の形態では合わなくなってきている。そういった人達にZOPAが資金手段を提供するんだ、というものでした。 当時金融機関でシステム管理の仕事についていた私は「こんなすごい理念をもった会社で働きたい」と思い、休暇から帰ってくるやいなや、その会社に履歴書を送りつけました。 でも結局はなしのつぶて。よく考えたら、自分には大きなスキルギャップがあることに気付きました。金融機関でシステム管理の仕事をしてたら十分実力あるんじゃない?と思うかもしれません。しかしながら金融機関でしか使われない、超高性能だけれどものすごく高価なソフトウェアの使い方を知っていてもスタートアップのエンジニアとしてはあまり役立たない、ということに気がつきました。 またたとえ万一ジョブオファーをもらったとしても、通常イギリスの就労ビザは各企業が従業員に対して取得するもので、会社を辞めるとそのビザは無効になってしまいます。では新しい会社が新たにビザを発行する手続きをしてくれればよいわけですが、EU域内では域内の就労者を優遇する政策をとっているのでそれは並大抵のことではなく、よほど特殊な技能がない限り、スタートアップが私にビザをくれることはまずないということも考えていませんでした。

そこでスタートアップで働きたい、という目標からまず一歩下がり 、今の会社をやめてもよいビザの 取得とスタートアップで通用する技術の取得に励むことにしました。

まずビザの取得に関してですが、当時はhighly skilled migration programというポイント制のシステムがありました。学士、修士、博士といった学歴や年収、年齢によってポイントが割り当てられ、トータルで70点とれればよいというものでした。でした、というのは移民法はほぼ半年ごとに改正があり、毎年厳しくなっていき、今ではこのシステムそのものが消滅してしまいました。私の時は幸運にもこのシステムを利用できたのでよかったのですが、それでも弁護士に多額の費用を払った上、もろもろの手続きに時間をとられ、取得に一年近くかかってしまいました。

スキルギャップを埋めろ
ビザの所得と同時にベンチャーでやっていけるスキルを身につける必要があります。それまでシステム管理の一環で簡単なプログラムを書くことはありましたが、本格的なプログラミングはしたことがありませんでした。そこで本屋さんに行き、人気のありそうなプログラミングの本を買っては一月程度かけて、本のサンプルプログラムを打ち込んでいきました。こういうことを業界用語では写経と呼ぶそうです。しかしながらどれもしっくりいかず、4冊目ぐらいの時にRuby on Rails というフレームワークに出会いました。これがとっても楽しくて、サンプルプログラムを書くだけでは飽きたらない、と思っていたところ、日本でAward on Railsというプログラミングコンテストがあるというではないですか。 早速イギリスから応募してみることにしました。 ただ3週間ほど一人でプログラミングしていてわかったのですが、自分には圧倒的に基礎が抜けているため、書けば書くほどプログラムがめちゃくちゃになってしまい、一人ではどうしようもない段階まで来てしまいました。

さあどうしよう。締め切りの期限も2ヶ月を切ってしまいました。 その時ちょうど参加したのがlondon ruby user group。これはRuby on Rails で使われているRubyというプログラミング言語の愛好者が月に一度行う勉強会のようなものです。フォーマットとしては二人ぐらいの人が特定のトピックに関して発表を行います。正直その時聞いた内容はちんぷんかんぷんだったのですが、そのあとに向かったパブで色々質問を投げ掛けたところ、一人懇切丁寧に教えてくれる人がいました。そこで後日彼に一緒にコンテストに参加しないか聞いたところ了承してもらえました。何でも彼は金融機関でプログラミングをしており、プログラミングの経験は豊かだけれど、Ruby on Railsの経験はないので一緒に勉強したいとのこと。これは私にとっては思っても見ない朗報でした。 そのあとの2ヶ月間は毎週末スタバにこもっては彼と一日中プログラミングをしてしまいました。この時習ったのがペアプログラミングという方法です。一つのラップトップを使い二人で同じ箇所を一緒に書いていきます。これは各人が別々にプログラムを書くのに比べて非効率的に思えますが、様々な効用があります。まず一人では書いていると単純なスペルミスとかでもプログラムがうごかず、原因究明に時間をかけてしまうことがありますが、二人目がそういったミスをかんたんに見つけてくれたりします。そしてある問題に関して解決法を考えるときにちょっとしたブレーンストーミングが簡単にできます。そして一番の効用ですが、一緒にプログラミングをしてお互いに教えあえるということがあります。

作り上げた作品は commect.usといいます。 結局この作品はコンテストでなんの賞もとりませんでしたが、その彼に「一緒に起業しよう」と誘われました。よく私のようなプログラミング初心者と組む気になったなと思ったのですが、彼の周りはみんな金融機関で働く、どちらかといえば安定志向の人が多い人ためとのことです。 習作ようにはじめたアプリで起業とは正直最初は思ってもいませんでした。

しかしこういうことって全てタイミングですね。

ちょうどその時勤めていた会社がロンドン郊外に移ることになっており、実は私自身移転か退社の決断を迫られていました。 そこでこれを気に早期退社プランにのることを決断しました。

で、起業を決断したのは良いのですが、その直後にcommect.usの開発は断念しました。

その当時の日記からの抜粋です。

「世界初のコメント管理システム」という高い理想のもとに進めていたのですが、実は私たちより先に似たサービスを作っているところが何社/人もいました。co.mments(多分イタリア人), cocomment (スイスの会社), commentful(インド?), mycomments(アルゼンチンの学生)。特にco.mmentsとcocommentは1年前にサービスを開始しており、TechCrunchでも取り上げられていました。 作る前にちゃんとリサーチしとけばよかったのですが、後の祭りです。でもたかだか趣味のプログラミングなのに世界各国の人々と競争してたなんてちょっとびっくりしました。プログラミングパートナーとは今後の展開を9月ぐらいに話し合いました。当初は私が「でも日本ではまだ初めてのサービスだから意義はあるよ」と諭したのですが、所詮日本語を話さない彼にはモチベーションをあげることにはならず。結局開発は中止することになりました。でもこれは結局正解だったと思います。つい先日cocommentは日本でサービスを開始したようです。こちらは週に一日のプログラミングなのに、VCの後ろ盾のある会社と勝負するのはつらいですしね。


今からすれば競合がいるのは良いアイデアである証なのですが、当時は他人の人まねなんかしたくないという思いと、多額の投資を受けている会社に勝てっこないという思いがあったのだと思います。結局その時の競合たちが成功したという話は聞かず、私たちのアイデアに一番近く、現在でも成功している会社が出てきたのは私たちが断念したさらに1~2年後のことです。

起業を決意してから実際に会社を退社するまで1年ほどあったので、その間に新しいビジネスアイデアに取り組み始めました。 今度のサイトの名前はAorBor。

これは「AかBかそれとも~」という意味をつけて作った商品比較サイトです。最初のCommect.usを断念してからほぼ1年間、また週末を利用しては二人でスタバにこもってプロトタイプを作り込んでいました。

ポールグレアムとの遭遇
時間は少し飛ぶのですが2007年の10月にFOWA(Future Of Web)というカンファレンスがあり、そこにYコンビネーターの創業者であるポールグレアムその人が参加しており、実際にお話しすることもできました。そこでそのときの様子を再現しますね。

[FOWA 2007で壇上に立つポールグレアム]

2日目のキーノートはYコンビネーターでのスタートアップ投資で有名なPaul Graham によるFuture Of Startup:Webスタートアップの未来。

今回のカンファレンスで最も楽しみにしていたセッションだったのですが、彼の歯に衣を着せぬスピーチはたぶんもっとも議論を醸し出したのではないでしょうか。セッションの全訳はここに出ているので、彼の発言を追いながら、会場の様子などをリポートしてみます。

イントロ部分

これはテクノロジーの分野で繰り返し現れているパターンだ。最初ある種の装置がすごく高価で少量がカスタムメイドで作られている。それから誰かがそれをずっと安く作れる方法を見つけ、桁違いにたくさん作られるようになる。そしてそのことによって、その装置は以前には考えもしなかったような使い方がされるようになる。


この部分は今回のカンファレンス全体に流れるテーマのようにも思えました。

"Short on Cycles, Long on Storage"というタイトルでUtility Computing(Amazon S3など)の将来について語ったサイモンワードレーも同じように産業革命を例に出し、大量生産で標準化されたものが安価で手に入ることで、今まで企業内部に置いていおいたインフラ部分のアウトソース化が加速すると述べていました。

そしてDigg(当時人気だったニュースアグリゲーションサイト)の創業者Kevin Rose の "Lessons learnt from Launching startup"のセッションでは、「最初のうちは投資家なんか探さなくても、自分のお金で出来る範囲でブートストラップすればいいよ。初めて投資してもらったお金で喜んでSunの紫色のクールなサーバを買ったけど、自分でメンテする分手間がかかってしょうがなかった」と述べていました。

買収に対する新しい姿勢
Googleの例はそのような考えを正してくれるだろう。Googleはこれまでのところ、他のどの公企業よりもすぐれたプログラマを集めている。その彼らが買収をすることに問題がないのであれば、他の会社には余計問題がないはずだ。Googleがどれほど買収をするにせよ、Microsoftはその10 倍も多くやっていてしかるべきなのだ。
この部分はポールグレアムの他のエッセイでも「GoogleがVCの一番のライバルになる」見たいなことを言っていました。私としては最近Amazon, Faceook, Microsoftがそれぞれスタートアップ企業を支援するプログラムを打ち出してきたことについてどう思うかQ&Aで質問したかったのですが、すでに他の質問をしていたので、チャンスはもらえませんでした。残念。

逆に私がQ&Aでした質問は「ポールの考えるスタートアップのモデルは、小さく安く始めて、Googleみたいな企業に2~3年買収されることのようだけれど、では37 Signals(Ruby on Railsというフレームワークを生み出し、またBaseCamp, Campfireといったプロジェクト管理につかえる人気ツールの数々を運営。長い間外部資本を入れないことで有名だったが、この後Amazonの創業者であるジェフペゾスからの投資を受ける)のように小さいながらも十分利益を出している、買収される指向のない企業についてどう思う?」でした。 それに関するPaulの答えは「10年後には買収されていると思うよ」とそっけないものでした。これは個人的には少し残念な答えでした。なぜなら一般に企業の寿命は30年程度なので、10年も続けるというのはそれだけで成功したといえるのではないのでしょうか?しかも37 Signalsの場合はすでに5年近く利益をあげ続けています。2〜3年での買収を考える会社とは別のモデルと考えた方が良いと思います。まあ個人的には2〜3年での買収を否定している訳ではないのですが。

スタートアップハブは存続する
このトピックは今回のカンファレンスで最も不評な部分でした。まず引用を受ける前に、このFOWAのイベントがヨーロッパ(ロンドン)で行われたということを念頭に置いてください。

スタートアップハブにいるべきかという問題は、外部の投資を受けるべきかという問題と似ている。問題はそれを必要とするかということではなく、それにより何らかのアドバンテージが得られるかどうかということだ。なんであれアドバンテージをもたらすものは、競合がそれを持ちあなたが持たないとき、競合のアドバンテージとなる。だから誰かが「我々はシリコンバレーにいる必要はない」と言うとき、「必要」という言葉は彼らがこの問題を正しく把握していないことを示している。
ポールグレアムとの遭遇のスピーチが終わった後、司会者であり、このカンファレンスの主催者であるのライアンカールソンはこのように述べています。

「ポールにたった今 "Thank You" と言ったけど、実はかれに感謝する気持ちはなかった。僕たちはスタートアップ=シリコンバレーという図式に疑問を感じ、このスタートアップのすばらしさを世界中の人達とシェアしたいという思いでヨーロッパまで来てカンファレンスを行っているのに、彼のスピーチ内容はその意図と反しているし、私はそのことに同意しない」
みたいな感じだったとおもいます。

この発言の後、ライアンに向けて盛大な拍手が向けられました。

私自身は「ポールは会場全体を敵に回しても自分の意見を貫いているのはすごいな」と感心しつつ、やはりライアンの気持ちもわかるなと思いました。

後でポールグレアムと直接話す機会があったので、サインを貰いつつ "I am nobody at this moment, but I will one day prove you are wrong that startup has to be in Silicon Valley"(私は今は無名ですけど、将来きっとベンチャーはシリコンバレーでないとだめ、といったあなたの発言が間違いだと証明してみせますからね)と大層な啖呵を切っておきました。

(「Happy Hacking!」YCombinatorのパートナーであるジェシカリビングストーン著書の「Founders At Work」にミーハーにもサインをしてもらいました)

シード投資は全国的どころか国際的なものではないか? 面白い質問だ。そうである兆候がある。私たちの元にはアメリカ国外から創業者が流れこんでおり、彼らはとりわけよくやる傾向がある。彼らが別な国に行くことも厭わないほど成功することへの決意を持っているためだ。 シード投資ビジネスが国際的であるということは、新しいシリコンバレーを作るのを難しくするかもしれない。スタートアップが移動可能なものであるなら、地元の最高の才能は本物のシリコンバレーに行くだろうから、地元に残る人は引っ越すだけのエネルギーを持たない人たちということになる。


この点に関しては一言いいたいことがあったので彼に次のように述べました「創業者自身が投資家からビザを貰ってアメリカに行ってもいいと思うけど、その配偶者には労働ビザがおりないんじゃないですか?配偶者のキャリアも尊重するのならそれはどうすれば良いのでしょう。ヨーロッパに行く場合は、ビザがおりた本人の配偶者にも同等のビザがおりるので、その点はヨーロッパの方が進んでいると思いますよ」。そうすると「そういえばシリコンバレーまで海外から引っ越してきた人はみんな独身だったね」と言っていました。

今回のカンファレンスで知り合った他の人とあとでメールのやり取りをしたのですが、彼もこの点は不満らしく「引っ越したくても様々な理由で引っ越せない人もいるだろうに、そういうのを熱意を計るバロメターとして利用してほしくなかった」と述べていました。

基本的にポールグレアムは全ての人をよろこばせるためにものを言う人ではないし、今まで起業に躊躇していた若い人を励ます意味ではとても良いことを言っていると思います。ただ、せっかくスタートアップの裾野を広げたいと思っているのであれば、20代でない人達やシリコンバレー以外の人達も勇気づける方法を考えても良いのではと思います。

若いころ起業を夢見ていた人や、日本でがんばろうと思っている皆さん、お互いがんばってPaulがまちがっていることを証明しましょうね。

より良い判断が必要とされる
大企業の人間で、もっと早くしていれば2000万ドルで買えたスタートアップを2億ドルで買ったということで処罰された人は今のところいないが、そういうことで処罰される人が出るようになるだろう。
ここで「2億」という数字を持ち出したのは、ロンドンのスタートアップ企業last.fmが大手メディアのCBSにちょうど2億ドルで買収されたことと関係づけていると思われます。

大学は変わる

私は大学の学位が本当に重要なものに思われていた時代に育ったため、このようなことを言うのには不安を感じるが、学位には別に魔術的な力はないのだ。最後の試験を通る前と後とで魔法のように何かが変わるわけではない。学位の重要性は、まったくのところ大きな組織の管理上の必要に基づいている。これは確かにその人の人生に影響を与えるが(大学を卒業せずに大学院に入ったりアメリカの就労ビザを取るのは難しい)、このような基準の重要性は下がり続けるだろう。


先ほどもビザのことを軽く触れましたが、海外で成功しようと思っている起業家にとってビザは鬼門といっても良いでしょう。これは起業に対して色々なハードルが下がってきている中、「国」が最もかわっていないことを示唆しているのではないでしょうか。アメリカ以外の国(カナダ、オーストリア、イギリス)でもビザを貰う際「大学を出たか」というのは実際に評価ポイントに大きく左右してきます。

Q&A
ウェブには載っていませんが、彼のエネルギッシュ(あるいは扇情的)なスピーチは多くの質問を呼びました。 全ての質問は覚えていないのですが、以下の2点が印象に残りました。

Q:メディア側にいる人間としてはヨーロッパのベンチャー市場を活気づけるために何をすべきか
A:やはりスタートアップのことを少しでも多く取り上げることだろう。スタートアップ企業のドキュメンタリーなんか作っても良いし、やはり間近な例を多くの人に知らせることが重要だろう。

Q:アメリカ以外でも成功しているスタートアップも多くあるが、それらのアメリカの企業との違いはあるか?

A:それはとても興味深い質問だね。私自身考えても見なかったが、オープンソース系の企業や団体(MySQL, jBoss, Linux)は成功しているようだね。

欧州版シードアクセラレーターSeedCamp
先ほどのFOWAで「アメリカ対ヨーロッパ」の投資プログラムに対する対立の片鱗がかいま見れたと思います。

そこで時間の針をまた少し戻し2007年の8月まで戻ります。

ちょうど私が前職の金融機関を退職する直前にseed campというシードアクセラレータープログラムに応募してみることにしました

SeedCampは SkypeのVP(ヴァイスプレジデント)でかつヨーロッパ大手のベンチャーキャピタルであるIndex VenturesのSaul Kleinという人が仕掛けた企画です。本人もブログで何度もいっているのですが、もともとのアイデアはPaul Graham のYコンビネーターです。

SeedCampもほぼYコンビネーターと同じルールですが、一応要約を載せておきます。

- 7~8月に応募を受け付けたあと20組を選び、9月初旬にロンドンで一週間の起業家養成コースを受ける。その後5組が選ばれ5万ユーロ(8百万円ぐらい)の投資を受ける。そのお金で3ヶ月アプリを作る間、他の起業家との交流の機会や、会社設立の手助け、更なる投資先の紹介をしてもらえる。
見返りとして投資家は会社の株10%を得る)
- だれでも応募可、でも起業はヨーロッパでする必要あり。
- 開発期間の3ヶ月間はロンドンにいることが望ましい。
- 応募者は開発者か、もしくは開発者がチームにいること。一チームは2~5人まで。
- 応募の際にはプロトタイプがあると望ましい。

Yコンビネーターの場合は確か参加者が皆一カ所に缶詰状態になるのですが、これはそこまで拘束されなさそうです。そのかわり頻繁にロンドンで著名起業家との食事やメンターとして助言を受けることができるようです。SeedCampの設立メンバーにはすごそうな起業家やVCの名が連なっているのでかなり期待できそうです。

早速プログラミングパートナーと相談し、だめもとで応募してみることにしました。プロトタイプが一応あるのですが、まだ人様にお見せするほどのものではないのでちょっと恥ずかしいです。

かなりの人数の人が応募したようで、200人とかいう数字がフォーラム内に出ていました。9月にロンドンでの1週間のSeedcampに呼ばれるのは20チームなので競争率は約10倍といったところでしょうか。最終的に投資を受けるのは5チームなので倍率は40倍、狭き門です。

参加国の顔ぶれですが、フォーラム内に他のトピックに「みんなどこからきているの?」というスレッドがありました。私が調べたときは42人が反応していて、トップ3の参加国出身地は以下の通りです。

- UK (11)
- Italy (5)
- Germany (3)

やっぱり開催地からが一番多いようですね。2番手にイタリアがつけていますが、イタリアは他の国に比べて起業家マインドが高いのでしょうか?その他にも東欧(Russia, Croatia, Romania, Slovenia)や北欧(Sweden, Denmark)などトータル20カ国近くの国から参加しているようです(アメリカ、インド、エクアドルといったEU圏外の人もいますがヨーロッパで起業するつもりなのでしょうか?)。

申し込みの用件のなかに「チームで応募」という条件があったため、フォーラム内でCo-founder募集をしている人たちも見かけました。

主催者もFinding fellow travellers for your businessというタイトルでCo-founderの重要性を説いていますが、急造チームで大丈夫なのかな?という気もします。でも私も前年のプログラミングコンテストに参加したときは、急造チームだったので、彼らにもがんばってほしいです(あっ、もちろん私たちが受かることの方が重要ですけど……)。

チームメンバー募集している人達以外にも、フォーラム内で自分たちのアプリを紹介している人達が結構いました。すでにベータバージョンを公開したか、もうすぐする人達もいるようです。 なかには、英語での模擬インタビューや受かったことを想定したビデオを投稿している参加者もいました。

また、なんと歌まで作った人もいました。

just applied to Seedcamp hope that Paul will love it if my team could fly there it will be a dream.... 


でも"Paul"って誰のことをさしているのでしょうか?もしYコンビネーター のPaul Grahamのことをさしているのなら彼らはかなりの勘違いを犯してしまっている気がします……

ヨーロッパ全土から参加者が募っているだけあって、色々な参加者やアイデアを目の当たりにするとかなり怖じ気づいてしまいますが、これも起業を考える上での良い経験になっていると思います。

他の参加者のブログの以下の意見に私もすごく共感します。

Whatever will happen, however, I think it's always worth to apply to whatever serious contest you find around, because it forces you to focus on your business concept and to eventually refine it. In September I will take some sections I have specifically written for the SeedCamp application and I will integrate them back in our official Business Plan. This side-effect in itself seems to me a good reason for having applied.(たとえ結果がどうなるにせよ、このようなコンテストに申し込むことは重要だと思う。なぜなら、自分達のビジネスコンセプトを見つめ直す良い機会であり、その結果より良いものへと洗練されていくからだ。SeedCampの申し込みに記入した答えのいくつかは、私たちのビジネスプランに追加する予定だ。この(良い意味での)副作用だけでも参加した意味があったというものだ)

質問は20近くあったと思います。Yコンビネーターの質問といくつかは重複していたりしますが、その中で特に印象に残ったり、答えを書くのに苦労した質問を載せておきます。)

What customer need will you solve or put another way, why do people need your product?(どういったカスタマーの問題を解決しますか?言い換えるとなぜカスタマーはあなたのプロダクトを必要としていますか?)
ついつい自分たちのプロダクトで何が出来るかを(What)書いてしまいますが、他にも類似品や代替品があるなかで、なぜ(Why)自分たちのプロダクトを必要とするかを書くのはかなり骨が折れました。

What gives you an unfair advantage?(あなた達の圧倒的優位点は何?)
これって特許や特別な経験もコネクションもない身としてはなかなか思い浮かびません。ふつうインターネットベンチャーの多くは"First Mover's advantage"(先行者優位)を強調しますが、私たちの場合はまだプロトタイプですし。

How would you value your business in a year? What are key milestones that will account for the growth in value from today to 1 year from now?(一年後のあなたのビジネスの価値は?)

これも初めて起業する身としては雲をつかむような質問でした。

If you had one bullet, which competitor would you eliminate?(もし競合のうち一社だけ葬り去ることが出来るとしたらどの競合他社)


「じゃあ他社のサービスの方が優れてるからあなたのはいらないでしょ」と思われないようにしなければ、と考えるとあまり正直に書きすぎるのもやばいのかなと考え込まされました。

Let us say you have 15 seconds to pitch your business. Can you describe your business?
(もし15秒間だけピッチする時間が与えられたらどのように自分のビジネスを説明する?)

私が以前MiniBarというベンチャー交流イベントに参加した時、以下のような感想を日記に書いています。

意外なことに自分のアイデアを簡単に説明できる人って少ないようですね。いわゆる「エレベーターピッチ」に失敗している訳なんですが、自分のアイデアに興奮しているため、聞き手の私にとってちんぷんかんぷんだったりします。「あなたのサービスは誰が使うんですか?」と聞くと「だれでも使える」というのですが、どうやって使うか理解に苦しみました

いざ自分が説明する番になると非常に難しいです。

応募して2週間後に通知がきました。落選。 最終的には参加チームが40ヵ国以上から230もの応募があったらしいのですが、一時審査すら通過しませんでした。

誰にも知られず失敗
アイデアだけじゃなく実際に動くウェブサイトもあったため、申し込むまでは結構受かった気でいただけに、落胆もひとしおです。 その後の2007年9月に予定通り退社、とくに投資話もないまま、退職金をたよりにした最初の起業生活が始まりました。

でもそこからの3ヶ月は結構辛かったです。プログラミングパートナーは10月まで会社をやめられず、しかも10月からもパートタイムでしか参加できないとのことで、家で一人で作業していることが多かったのがまず一点。最初に家から働き始めたときは「通勤しなくてラッキー」と思っていたのですが、誰とも話をしないというのがこんなに苦痛だとは思っていませんでした。そしてあんまり失業者との違いも分からないですし。

そしてシードキャンプに落ちた時点でまた新しいアイデアを一から考えることになったのですが、お互いが興奮するような新しいアイデアがなかなか浮かびませんでした。起業家の集まるようなところにいっても自分のビジネスを説明すらできない時期が続きました。

最終的にはプログラミングパートナーとも些細なことで口論するようになり、結局その年の12月に私の方から起業を断念する事を彼に伝えました。

そういえば結局会社も設立せずじまいでした。

翌年の1月から就職活動を始めたのですが当時2008年の冬といえば金融恐慌のまっただ中、金融機関の出戻りはまったくと言って不可能でした。そういえばつぶれる数ヶ月前のリーマンブラザーズの面接を受けに会社までいったのを覚えています。そのときは面接していた人もあまり緊迫感もなかったようですが、人を採用しようとするぐらいですから、まさか自分の会社がつぶれるなんて夢にも思っていなかったのでしょうね。

結局3ヶ月くらい就職活動をしてまったく音沙汰がないところをNew Bambooという会社に拾ってもらいました。

そこは20代の二人の若者が始めた「Ruby on Rails」に特化したソフトウェア受託会社でした。 当時はまだまだRuby on Railsというフレームワークを中心とした案件が少ない中、私が今まで趣味の延長線上のようにしていたプログラミングを本職としてできるようになったのは大変うれしかったです。

金融業界から小さな会社への転職だったので給料も半分近くに下がったし、以前の職場では周りが30代後半~40代で常に「若手」だったのが New Bambooでは社長の一人が(当時)20才というとても若い会社で、私が「最長老」でした。

でも若い人中心の会社はいつも活気でみなぎっていたし、夕方になると毎日のようにX-boxをみんなでプレイしたりと、金融業界とはまったくかけ離れた世界でした。

この会社になれたころは2008年の北京オリンピックに世界中が湧いていました。


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