アニメ表現

日本にはかなり昔から漫画があって、鳥獣戯画が漫画だと言われている。
宮崎駿も言っていたが、アニメと呼ばれる前は漫画映画と呼ばれていて、命を吹き込むものという意味で、アニマからアニメとかアニメーションと呼ぶようになったのは手塚治虫だったと言われている。

リオデジャネイロ五輪の閉会式でプレゼンテーションされた東京五輪2020の映像と君が代の表現は、アニメ表現であって、日本人はアニメ表現の呪縛から自由になる道より、骨の髄までアニメ表現をする道を選び、日本、日本人といえば、漫画でありアニメであろう、そういう文脈で、アニメ表現にさほど興味のない人間たちが、アニメ表現を使ってステージ表現を作ってみてはもらえぬか、それこそクールジャパンなのである、麻生太郎あたりにそう要望された様子が垣間見える。

たしかに綺麗な映像で秀逸な君が代の表現で凄いとは思う。ところが今の日本と日本人の持っている物悲しい雰囲気まで表現されていて、どこか物悲しい印象をわたしはあのプレゼンテーションに感じた。
今となってはいいも悪いももうないのである。
ややこしい国や民族をその背中に背負って空を飛ぶしか道はなくて、シニカルに言ってしまってもそれが何になるかと言われれば、自説を引っ込めることになる。
東京五輪2020はミュンヘン五輪と似たような大会になるような気がする。