鋭さ

 感覚が鋭敏でデリケートな人間が繁華街でパニック障害になると、聞こえてくる音の洪水と、動くものがスローモーションで見事に全て見てしまい、スネークマンショーが脳内で始まり、感覚がノックアウトされる。レキソタンのような強制的に感覚刺激の連携を鈍らせる薬で刺激を鈍麻させると治る。
 精密機器に土木工事をさせるようなことをするとパニック障害の発作が出る。
 生きていくには程よく感覚は鈍い方が生きて行きやすい。そういうもともと鈍感な人間には知覚すら出来ないので、感覚で理解などは期待できないので、感覚が鋭敏ならば、敢えて鈍感になれるように訓練することになる。鉛筆を削って使ううちに先が丸くなるようなことをするのである。
 渡辺淳一が鈍感力という本を書いていたが、そういう本を著せる人間はもともと感覚が鈍い。だから失楽園などのような小説を書けるのであって、感覚が鋭敏な人間はそういう描写を描く時に自分の感覚の鋭敏さに思考が止まってしまうので、パニック障害の人間はあまり創作活動をしない。したとしても自分の感覚の鋭敏さで表現してしまうので鈍感な人間たちにはその鋭敏さの感覚が感じ取れない。
 だから社会は基本的に鈍感な人間を標準に作られており、鋭敏な人間たちはサイレントマイノリティとしてひっそりと暮らしていることが多い。
 小説家の過半数は感覚が鋭敏などではなく、鈍感な場合が多い。感覚が鋭敏な人間が著した小説は種類で言えば日本刀であるので、その切れ味の鋭さで読む人間の思考をスパッと斬ってしまい、一体これはなんだろうという疑問すら持たれないので商業出版社はそういうものにはあまり用事がないことが多い。
 感覚が鋭敏な人間が程よく鈍らせる著述をすると強度の中毒性を帯びてきて、そのような著述は見事に読まれる。