事実に興味あるなら考古学、真実に興味あるなら哲学、事実と真実から受ける感情は文学で表現する。

 まるでだれの意向も忖度せず、特定のだれかのお金も受け取らず、特定のだれかの意向でも書かぬという物書きは目障りで気味が悪いので無視をするということで一体真実をジャーナルできるのであろうか。それはジャーナルではなく宣伝であろう。つまりニュース記事というものの大体は宣伝。

 平和維持活動=PKO、生還できるとは限らない…派兵というものそういうもの。自衛隊もそれは一緒。南スーダンでどれくらいの人が…。

 オウサーもライターも等しく物書きというのだが、文章を著すのと文章で書くということには文章で描くか描かぬか。ジャーナリストはヨハネとかマルコやルカやパウロこそそうで、特定の考えを伝える人々のはずでジャーナルと宣伝に本質的区別はなく、欺瞞を事実と宣伝するかせぬかの違い。

 事実と真実についてインディージョーンズでは真実に興味があるなら哲学へ事実に興味あるなら考古学へと言っており、文学というものは考古学よりは哲学に近いが実は文学はそのどちらも描かず、事実と真実が感情を動かす虚構であることが多い。

 後世、南スーダンを発掘調査すると今の時代の地層の発掘と炭素同位体数量計算とを用い、人骨がどういう状態で埋まっているかを調べて戦乱の実相がどうだったかを考古学ということは調査するのである。残っている記録から人間の考えを推定し、その真実を探ることを哲学はして、その事実と真実から受ける感情を虚構で描くことを文学はするのである。