存在の過去形

美空ひばりの新曲というのが発表された。
技術の進歩で亡くなった人の新曲を作ることが出来たということになっている。
仮想現実という言葉があるが、生きて活動していた時期の肉感というものも、ネットなどで既に亡くなった人の表現活動の記録や、高齢になった人間の若い頃の表現などに触れている若い世代というのが居るので、一次体験者ではないその人間たちの中では70年前の音源も1年前の音源も同じように鑑賞してその人間たちの頭の中では現在形で存在する。
存在は過去のものだが技術で再現されてその存在が現在で表現するであろう表現としてAIが構築したものとして新たに存在していく。
初音ミクなどのボーカロイドが文楽の義太夫をしたり音源だけで存在感を醸し出しているのと美空ひばりの新曲というものには近似性がある。
YouTubeで過去の音源や映像を見てその表現の骨格を鑑賞して肉感を想像することと直に今生きて表現している人間の表現の発する肉感とに差異があるのは自明のことなので、死んだ人間を現在形で「居る」と表現することになってくる。
題材は生きていた人間なのだが仮想現実で表現してあたかも生きているかのようなリアリティを表現することが無意味なのか、異質な似て非なるものの表現なのかということは、アナログ曲線と微分曲線の差異のようなものである。
絵画でも言われている人間が表現するのか機械が表現するのかという問題が音楽でも問題になってくる。
つまり人間が人間そのもので表現することと機械を使って表現することとの区別を曖昧にするようになってきたということであろう。
音源さえ存在しておれば歌手は作ってしまえるということはボーカロイドに歌わせるということを美空ひばりでやってみたんですねという理解になる。
つまり美空ひばりは今では初音ミクと同じ「コンテンツ」という扱いなのである。