幸せの形

 世の中には自分がその本を読む必要のない本というのがある。たとえその本が力作だったり魂の告白であっても。その本をだれが作りどのように流通しお金は著作者には絶対に入らないという本を買うことは著作者の奴隷労働を助長するだけ。
 高橋まつり氏と清水富美加氏の最大の違いは命がないかあるか。命があれば自分で名誉を守れるが、命がないと名誉を守る他者が必要となる。
 つまり、清水富美加氏のあの本はあの人の実力が高ければ高いほど、他者の懐を潤す。自身はその本で儲けようという気持ちが全くないのにそれを著すというのは世の中に対して復讐しているのである。
ということは清水富美加氏はあの本を出すことで幸福から遠ざかるように思うのだが、幸福は自分で決めるものであるから、あの人の気の済むようにしたらいいのであろう。
 ルサンチマンから始めた事業を行う人間たちとともに力作を世に送り出し、自身の幸福を自身とは違うものに求めて、ようやく魂の平安を得たとするならそれは確かに幸福であろう。
 その結果、大きく稼いで他者を富み栄えさせ、自身は奴隷労働を行っても魂の平安を得ているというのは、それはファウスト博士ではなかろうか。