SNS疲れ

 SNSはやり過ぎると疲れてくる。いきなり200人が友達申請してきて、断る理由が思い浮かばないと承認ありがとうございますと言って交流が始まる。
 そして大体200人のうち80人くらいはお金儲けのために近付いて来ていて、40人はエッチなことが近付いてくる理由である。80人の内のかなりの割合が儲け方を教えますから個別に連絡をと言い、40人の内の半数は半裸の姿で自撮りしてチラリとさせて寄って来いと言っている。20人くらいは宗教かカルトで、ありがたい法話を送りつけてくる。そして20人は文句や鬱憤を黙っていられず、20人はいつも誰かを攻撃している。それでもなぜかその200人は人間に寄って行き近付いてきて何か人から引き出そうとしようとする。お金に用事か奴隷を探しにか遺伝子に用事である。それらを程よく距離を取って友達をやめると、200人は20人になっている。
 顔写真を見るとある人は自分の容姿に自惚れるくらいに自信を持って自撮りを量産している。ある人は自分の豪奢な暮らしを見せたくて仕方がないらしく高級料理店や海外のリゾートなどの写真で今日は赤坂、明日はドバイである。
 人間が一人ひとり抱える孤独というものはその闇が深ければ深いほど人に見せる顔は明るい。文句や罵りを言い募る人というのはそれしか言わず人の粗ばかり見ている。
 そうして残った20人は主体的に暮らして、自分が良いと思ったことを発信してそれには後悔はしておらず覚悟もある。まだ芸術家や芸能人の方がそういう発信には覚悟がある。つまり人気のあるなしに関わらず自分の発信が芸術や芸能の場合は、ある種類の頑固さと確信があり、お金や寄ってくる人間に用事でもそれは自分の表現を伝えて自己実現を果たすためのものであって、それが商売であったとしてもビジネスに覚悟がある場合はビジネスという芸能である。
 どうしても構って欲しいという気持ちから裸身や自撮りを晒す、容姿には自信のある人というのが結構居る。そういう人々は個別に連絡を取ろうとするので、皆が見ている場より個別のやり取りをしようとしてくる。それがエッチな用事と見せかけて実はその人間自体が罠の囮という香りが芳ばしく漂う人々の発信のロジックはある決まった雛形があり、そのSNSで交流しようとせず、自分の土俵の別のSNSに引っ張って行こうと必ずする。お金に用事の場合でも自分のSNSに個別に引っ張って行こうと必ずする。宗教や詐欺師も同じ様子を見せる。どこかでこいつは見たことがあったなあと思って思い出すと数十年前にカルトビジネスで人集めしようとしたカルト詐欺師だったというのまで居る。
 SNSというのはジャパリパークみたいな所があるのでけものは居ても、のけものは見事に居ない。そういう場で長く時間を過ごすと言い様のない脳の疲労を覚える。SNS疲れというものはそうやって起きる。それへの特効薬はいま触っているスマートフォンを閉じて外歩きをすることぐらいである。