きっとどうやら最後はどうなるかなど誰にもわからないから面白い

宮崎駿がドワンゴの実験を見せられて凄く怒っている理由をテレビで見ていると、AIの研究というものが思想もなく現実でやるから人間の水準を突破できないのかなあとふと思った。
いい人は正直なので時には嫌われて、そういうことをその身の内に引き受けられるからいい人という。
いろいろ言うということはできるけど、ジジイになった宮崎駿は中年のときより明らかに面白い人間になっている。遺作になるのはどんなものかはよくわからないが多分面白いものを最後に残していくのかもなあ…
世界は美しいと言ったのはロダンだったなあ。それと同じことを言う宮崎駿にドワンゴってああいうことをするから拒否反応くるんだけど、それは個人の好みだろうで片付けているやつをみたのう。そういうことを言って怒ってたわけとちゃうと思うがのう。アニメって命を吹き込むっていう意味やぞ。ドワンゴ。
命というものに対する敬意を疑われるというのは、説教している宮崎駿が真摯に言うてて、それを疑われるドワンゴって随分きみたちは真摯に商売してませんねて言われておって、前からドワンゴのしている商売に感じていた気持ち悪さを端的に指摘しているのをみて、やはり自分の感じたことで選んでいいんやなあと思った。
たった一人で脱原発デモとかする人に、ドワンゴって一体何を訴求しにいったんかのう。実験でキメラ作るっておまえらフランケンシュタインかいな。
表現で汚いことを表現しても侮辱はしないからアカデミー賞やったんやなあ宮崎駿って。
あの人今のほうが断然面白いし、好きなことを言って好きなことをやっていて、それで人生そろそろ上がりやから、やりたいことやるには時間はあんまり残されてないよなわし、と思っているジジイなんやろうなあ。
やることの好みやいい悪いよりもそういう面白い様子で侮辱はしないっつうのはええわ。