平成30(2018)年台風21号(チェービー)第三室戸台風

平成30(2018)年9月4日12時頃に徳島県南部に上陸した台風21号は、それまでにこのコースで大阪に2回台風が来ており、昭和9(1934)年9月21日の室戸台風、昭和36(1961)年9月16日の第二室戸台風と、ほぼ同じかそれ以上の勢力を保ったまま日本本土にやってきて、これほど防災が発達して、事前にこの室戸台風、第二室戸台風と同様のコースをたどってやってくるだろうと予想されていたので、大阪や兵庫、徳島、和歌山を中心に関西から南四国は台風に厳戒態勢で臨み、それでもやってきた台風は強烈で、南西側から猛烈な暴風雨を見舞って、高層アパートや築年数の古い建物をいくつも損壊させ、信号機を傾けて曲げてしまい、広域かつ大規模な停電を起こして、街路樹を無数になぎ倒して去っていった。これは第三室戸台風と呼ぶような台風である。

関西空港も高潮で被災し、タンカーが風雨で流されて衝突して連絡橋が大破した。後日の検証を待たねばならないが、暴風雨で船舶がそのトン数に応じて洋上待避するときに、台風の進路と風雨の方向から洋上に占位するポイントがあるのだが、関西空港島と本州を結ぶ連絡橋の架かっている水道内にもとから占位していたのか、流されて水道の入口に居たのかで実は重大過失か天然災害の被災かの様子が異なるので海難審判が必要ではないのかと思う。

被災した大阪の人々の幾人も口を揃えるのは「この台風はとても怖かった」である。わたしも家で台風が去っていくのを伏せていたが、最中は部屋が風雨で揺れて窓からは閉めきっているにもかかわらず雨水が染みこんできた。怖いと思った台風は数えるほどであったがこの第三室戸台風はとても怖かった。

堺区の土居川の南宗寺向かい側の歩道に植えられてある桜が何本も倒れて歩道が塞がれてしまっていたり、大阪和泉泉南線の街路樹がほとんど倒れ、信号はいくつも風で曲がっていて、どの方角の信号かが一瞬理解できない様子になっている。民家の壁がごっそり落ちていたり、道路に面した看板が風で破壊されてしまっている。堺工科高校の大阪和泉泉南線側の側壁が破壊されてしまっている。地道な長期にわたる復興復旧をしていくまでしばらく街は台風の爪痕が残っているのであろう。

ただ、事前にこの規模の台風であろうと予想されていたので、臨時休業や休業、休校と交通機関の運休が決められていたところが多かったので、人的被害があったとはいえ少なかった。防災意識が醸成されて命があれば他のことはなんとでもなると考えている人が増えたことは、実はそれこそが明日を呼んでくるのではないかとも思った。それでもこの日に所用があって、所用先が事前に台風来るので予定を変更してくれないかという連絡に、予定通りに所用をという人間たちも結構居て、命の感覚や危険認知にも個人差や鋭鈍があるのだとも思い知った。

追記 平成30(2018)年9月7日
関空連絡橋に衝突したタンカーは航空機燃料を関空に輸送するタンカーで、関空水道の航行権を持っていた船で、関空に燃料を輸送した後に帰ろうとして、台風が来たので洋上待避しようとしたが、暴風雨で水道内を連絡橋の方向に流されていったらしい。自力脱出を試みたが、暴風雨の力の方が強く、連絡橋に衝突してしまったらしい。天然災害の被災なので過失は問えないであろう。海難審判も開かれないであろう。