新潮社の経営判断
新潮45の休刊声明を読んだが、言論の質を維持できないくらいに収益がないということは、お金をかければ言論の質を維持出来るのか?時代が変わったのか、社会が劣化したのか、出版社の水準が下がったのか、判然としないが、この三つの理由全部が理由だろう。新潮社だけのせいでもなさそうである。
秀逸な表現や秀逸な言論というものを出版社が媒体となって発信する時代が終わってもう数年。人間の興味関心や水準が変化してある側面は上がりある側面は下がった水準というものを前提に表現や言論はしていく時代ということである。言語表現そのものの面白味で勝負するには時代の風は逆風である。
ヨットは逆風でも前に進む走法があるので、言語表現の逆風でも進む走法はあるとは思う。つまり、出版社はお金になればヘイトスピーチも掲載ということは、いい加減にせんかいと却って商売畳む羽目になるという、人間の良心を甘く見てたね、新潮社、ということである。
経営者が経営判断を誤ると最悪の場合、会社は死ぬ。新潮社はさすがにこのヘイトスピーチの件が経営判断誤ると会社潰れるという危機感は持ったらしい。
言論の自由というものがありヘイトスピーチは人間の持つ正直な感情の一つなのでそれを完全に排除するのは黒色のない絵を描くことしか許さないということなので世界や感情を表現することではおかしなことになる。だが妄りに黒色ばかり絵に描くのも世界や感情を潰すこと。
言論や表現は絵を描くことと一緒なので美を際立たせる黒は使うことになる。ただそれだけのこと。
つまり杉田水脈のあの論説には美が欠けているのである。
数学の数式の解法が二つ以上存在するときはその内より美しい数式の解法を採用するということなので論説もより美しい論説を採用することが大事なことである。