最後の太陽族

最後の太陽族逝去。石原慎太郎氏亡くなる。
太陽族の語源になった石原慎太郎氏の芥川賞受賞作の太陽の季節は、まあお読みになったらええよ。わしからいろいろ言うのもあれやし、内容もあれやし。
サザンオールスターズがどうしてステレオ太陽族という楽曲発表したのかとか太陽族というのはどういう人々のことを言ったのか、石原慎太郎氏の太陽の季節を読んだらようわかりますよ。太陽族という言葉が決して肯定的なものではないということも。
石原慎太郎氏が太陽族だという根本的視点がないと政治家としての行動もよくわからんでしょうな。太陽族でなければ尖閣諸島買い上げるとか言ったりせんです。
伝わっている話で印象深い話に石原慎太郎氏は妻に毎朝和洋伊の三種類の食事を作らせて毎朝その三種類のどれかを選んで食べたというのがあって、本当にそうだったんだろうかと思った。
しかし石原慎太郎氏の訃報を伝える中韓台で見事に扱いが違ってて香ばしい。単に業績を言った時に一番の功労である東京都ディーゼル規制を言うところが皆無なのもアンフェアだぞ。
言葉の良し悪しはともかく極右妄言製造機だったという韓国の言い様は見た瞬間吹いたです。
石原慎太郎氏が亡くなると彼のことを悪く思っている人間が一斉に悪く言い出して、そういうのは生きている間に本人に面と向かって言わず亡くなってから言うなら「あの人は政治家や作家である前に太陽族だった」くらいでええやろ。
石原慎太郎氏を単なる右翼政治家と言っていいかどうかという根本的な区別は彼が基本的に湘南で富裕層が野放図に生きていたことを太陽の季節で描いて、彼は政治家や作家である前に太陽族だったという視点がないと彼の人生の軌跡がよくわからないかもしれないです。聞くところによると晩年膵臓がんの闘病のかたわら作品を執筆していたそうでどうやら未発表の遺作が存在するそうです。合掌。

追記2022年2月7日
#石原慎太郎の都民葬に反対します
石原慎太郎は晩年、亀井静香に「このままでは畳の上で死んでしまう。悔しくて仕方がない」と言っていたそうで、生前に寺山修司の言葉と同じように葬式不要戒名不要と言っていたそうで、そういう人間が自分の葬式を望んでいたとは思えない。都民葬とか何を寝ぼけとる。
石原慎太郎は葬式不要戒名不要、骨は海に撒けとちゃんと生前意思表示してて、都民葬とか寝ぼけたこと言うてんと湘南の江ノ島沖で散骨したったらええねん。最後の太陽族の見送りに丁度ええやろ。