ウギス·ナステビィッチ『ラトビア神道と日本神道:諸祭式、その神聖空間と詞章の比較研究』要旨への感想

要旨PDF
https://www.researchgate.net/publication/356906533_ratobiashendaotoribenshendaozhujishisonoshenshengkongjiantocizhangnobijiaoyanjiu

内容が濃くて痺れました。
黒田俊雄博士は中世日本密教史研究の研究者で顕密仏教。権門の研究などがありますね。
それにしても類似点が菊の徽章にまであるとは。
神道の制度化の時期まで同じ時期とは。
ラトビアと日本のことを考える時にどうしてもナチスの研究が必要でしょう。ハイデガーなどはナチスに荷担の論争などがあり、ドイツとラトビアはドイツ騎士団以来の関係性がある。プロイセンですね。
巫術による祭祀が原始神道なのですが、漢民族の目にはそれが鬼道という言葉で表現されており、卑弥呼がそういう巫術を用いたという記録が魏書東夷伝倭国にありますね。
古事記の研究の中で本居宣長は聖書を参照していた形跡があります。国家神道というのは一神教への志向の跡があります。1946(昭和21)年に神社本庁の成立というのは神道本来の多神教への回復の再建であり、それは原始神道の八百万の神から続く連続性でしょう。おそらく日本は複数の淵源がある。
「神道」という用語を用い「宗教」という用語を用いない、いくつかの儀式の類似点、そして民族文化の孤立性の保持。ラトビアではその保持が奇跡的な保持だったという観点。海に囲まれると言語が保存され陸続きだと同化の作用が働くという言語学の説が神道研究にどういう観点をもたらすのでしょう。
杜の霊的観点に言及されており、神社に参詣すると空気から変わるという体験を述べている人が複数居て、それはパワースポットであろうという理解をしている人もいます。神道の観点からみた霊的なエネルギーの発する地点というならその体験の説明が付きます。
墳丘墓がやがて極相林になった百舌鳥古市古墳群は鳥居を設けて霊界と現界を分けており、確かに周辺の空気が変わります。文化遺産なので、原生林以外に植林の杜もあるわけです。
皇室で行われている祭祀は国家安寧などであり、神社が疫病退散の祈祷を行うというのは日本では古代からそうです。仏教寺院で密教の儀式で疫病退散の祈祷や災厄退散の祈祷などがありますが、神仏習合していたので神道と仏教の両方にその祈祷は現存しているようです。
日本では神道と仏教が習合していた時期が長く、江戸時代の国学研究から明治維新の後に神仏分離が行われます。普遍宗教と固有文化というもので固有文化の独自性への普遍宗教の侵食という力学が働くという視点はわたしも以前から感じていたことです。
神道と道教の関係性を指摘する中国史学の研究者がいますが、式神、御札などがどこが淵源なのかとか、吉凶を占う神事に亀甲ひびの読み解きというものがあり、令和改元の時に九州の神社が亀甲ひび占いをしています。亀甲ひび占いは殷の時代から中国にある占いで祭政一致の社会では政治でした。
政教分離のハードルを神道という用語で超えているという指摘が、日本社会で神道をどう扱うかの一つの論理となっていて、そうでなければ愛媛玉串料訴訟の判例を適用して神道も宗教であるという意見も存在してはいるのです。
もともと神道の成立した古代社会、中世社会は祭政一致の社会で、日本が政教分離の社会になるのは1945(昭和20)年以後です。