文で春をひさぐ
週刊誌というものの記事の大半はゴシップである。ゴシップ、日本語で醜聞というものは江戸時代に瓦版の記事は政権揶揄か醜聞だったといい、醜聞を読売が読んで売り歩くとそれを聞いた人間がなんじゃそりゃ、そんな汚い話があるもんだよとなって瓦版を買うということが結構あったという。
超人気アニメの主題歌を歌った歌手の夫の声優が若い業界娘と不倫してそれを週刊文春に書かれた。
醜聞を書いて売るというのは瓦版の頃から変わらない性質である上にその性質は文で春をひさぐという種類のものである。
そういう話は汚なければ汚いほど売れる。色恋などを金銭でやり取りして春をひさぐということを文章でするようなもので、それを話題にされて書かれたからといっても人生は終わらない。
その本質を見ずに冷徹に人の不始末を叩く世の中になったのはいつからなのだろうか。
不倫をした者へされた者に謝れと詰め寄る者が必ず夏の虫の様に大量発生する。
より醜いのは当事者よりもそれを知って叩く多くの者の方なのだが。
醜聞を聞いた者は醜聞を行ったものより心が醜くなるようになっている。文で春をひさぐ者は醜聞を広めるのである。
いい言葉を血肉にするにはわるい言葉も知らねばならぬ。宮崎駿は天空の城ラピュタでそう表現している。