絵心の澄み具合

濁った心で絵を描いたら濁った絵になりますよ、そりゃあね。濁った心で文筆やったら濁った文筆になるんですから。それとおんなじ。
片岡鶴太郎は昔、榊莫山に弟子入りを断られて、そのときに、君の書には下心がある、と言われたらしい。下心で表現されたものは下心が描かれており、人の心は捉えられない。自分のみる目が曇ると心も濁る。
絵を描きそれを発表するというのは自分の心の中をさらけ出していることなので、ある画家の作品が濁ってきたなら、それはその画家の心が濁ってきたということである。画家は自分の絵を大事にして、人のことをあまり気にしない方が絵は深まるのではなかろうか。

補記 2018・7・7
片岡鶴太郎の最近の発表作品をテレビで見る機会があり、確かに以前は榊漠山に言われたような下心があったのだろうが、その後そのような下心はなくなったらしい。なかなかに見応えのある作品になっていた。