はだしのゲンの表現作品としての価値

はだしのゲン自体は表現作品としての価値しかなくそれが有害で教育上問題なものだということをそのまま鑑賞させて各自判断させたらええことです。わしは小学校の教室に全巻あったので読んだのですが暴力描写がとても多くゲンはいじめられていたのが成長して人をいじめる人間に描かれておりリアルです。
はだしのゲンの実写映画は原作の前半しか描かれておらずあれだけでははだしのゲンの全貌はわからず、理不尽な暴力を生き延びて戦うという少年にしか描かれていません。ですが原作の最後では高校でゲンが教師をいじめている描写があります。暴力の本質が描かれています。
はだしのゲンのことでも思うのですが表現作品に倫理観を持ち込んで処断することはとても危険なことです。正義や倫理観というものは見る方向によってまったく正反対の像を描き出すもので、暴力描写を表現する意味は暴力の本質を語るためで、はだしのゲンはそれは成されている表現作品です。
実際表現作品を規制するという方向に力学が働きがちなので、表現することの自由というものは表現する人間やそれを鑑賞する人間が規制と戦い守るべきものです。問題のあるままの姿で表現作品を自由に鑑賞して善悪倫理観を醸成していくのが豊かな情操というものです。
ウクライナがロシアと戦争して国を守れているのはウクライナ人の教養水準が高くて孫子もちゃんと読んでいるからではないのですか。今の日本人で孫子をちゃんと読んでる人はどれくらいいるでしょう。戦争の被害を知る者しか戦争で利益を得られないと孫子に書いてあります。
原爆があって原子力は「平和利用」されており研究自体が軍事研究が先のものなので、はだしのゲンで描かれているように敵対する国にダメージ与える手段が毒がうつるもののように錯誤させることまで含めてだとしたらどうしますか。
はだしのゲンに関して予備知識なしに読むと福島差別になると左翼利権ポジショントークをしてるのがいますが、そういう知見などないとこに原爆投下がされたので科学より呪術になるのは歴史がよく語っています。そもそも福島差別だって知見なしにされています。だが作中でゲンがピカの毒がうつるわけないと言ったと描かれており、いつでも正しく知っておればそれが最強であり、敵対する国に対する攻撃の最初は知ることを妨害するところからなのです。
だから左翼利権ポジショントークなどというのは正しく知ることを妨害することをしているので相手してはいけません。