寒い夜はストーブにあたっておればええことである

人の購買行動に難癖つける奴って気持ちが貧相。
大阪に住んでいて東京の画廊で十万円の絵画を買うということには絵画一枚買うのに二枚分の資金が要りますねんで。そういう人間は画業の人間のすることをネットで見て素晴らしいとも言ってはいけないのかね。そういうことを言うのは絶対に間違っておるぞ。
画業にしろ文筆にしろ、作者を応援するには作品を購入するのが一番の応援なのははっきりとしており、そんな前提をあらためて言語にするよりネットで賛辞を得て沢山の人が買ってくれるならそれが一番ええやないか。
人の財布の中身の出ていく先や貯め方をこういう用途に貯めて出せよ、その作品を愛してるなら出来るやろってえのは綺麗な言葉で言ってもな、それはカツアゲやぞ。
わし昔、海外旅行するのにその資金工面するのに深夜に働いたけどな、作品買ってくださる人のお金にはそういう血の滲んだお金もあるんやぞ。そういうことに感謝と真摯さのない作者の作品を一体誰が買うねん。
気安く始末して買えよ作品と芸術を愛してるならできるやろとかな、あまりにも人の心の傷みとかひたむきさとかに対する愛情に欠けててな、すごいわしはそんなん見ると悲しくなるねんな
わしは子どもの頃の方が随分ガラが悪かったんで、多分そんなにいい人間じゃないと思う。
人の狡いところや悪いところはたくさん見てきたし、そういうところはわしにも一杯あり、間違いばっかりの人生やったから正しい生き方などわしは知らぬ。
間違いばっかりのわしの人生で表現するということがなかったらわしは恙無く生きて行けなかったかもしれぬ。
だから芸術を愛してるならその金を払えるだろうとか言える人間は根源的な貧困とか傷みや挫折ということをよく知らぬのだろうなあと思う。心が貧しくてお金も持っておらぬわしは、お金がなくとも心や人生を豊かに過ごしたいと本当に渇望するように望んできた。
そうすると人生や心の豊かさというのは本当にその辺の野原で咲いておる。それを愛でて和んでおるうちに自分の貧しさというものを意識することが少なくなった。
そういう人生で振り返らずに生きていくしかないのだろう、だれに理解されずとも、省みられずとも、いいと思ったことをやっていくしか道など最初からなかったのである。
人にそういう荒野を歩いてみろなどという冷徹なことを言う性格をわしはもとからしておらぬ。自分は氷水の中でも人の温かく入っておるお風呂の気持ちいい様子を、おおええやんと思う精神構造をわしはしておる。
わしは冬生まれなので寒い世界での生き方を知っておったとしか思えぬ。
人生も世界も季節があるので寒いときばかりではなく温かいときもくる。寒い夜はストーブにあたっておればええことである。
どんなことになろうと孤立しようとも、正直にしていよう。
慈愛というのは自分の心が落ち着いていないと生まれませぬ。静かに夜を過ごして反省します。