1993年米騒動


日本は1993年夏が記録的冷夏だったため米が不作となり細川政権はタイなどから緊急輸入して主食用米の供給を保持しようとした。
1994年夏ごろに流通していたタイ米を購入して炊飯したところ保温スイッチを切るとすえた匂いがしておにぎりは握れなかった。
タイ政府は緊急輸入で日本が輸入した米を食べず捨てていると日本政府に抗議してきたことがあって、そのとき加工用米ではなく主食用米を輸入してくれないかとタイ政府は言っていたと記憶している。
インディカ米の炊飯の方法が1993年当時はまだ日本では一般に普及しておらず、インディカ米をジャポニカ米のように炊飯しても不味いのだろうと思われていたのだが、緊急輸入の最初の方では加工用米を輸入して主食用として流通した形跡があるという。
後に主食用タイ米の輸入がされてさほど不味いわけでもないと理解されたのだがメディアは加工用米を輸入して主食用にしたということはさほど報じず、後の主食用米輸入されておいしいということもさほど報じなかった。
そのため今でもあのときは主食用タイ米は不味いという風評が流布されたとされている。
本当のことを言うと黙殺されることが増えてきたのはこの米騒動くらいから顕著になってきたのである。
サラダ記念日のサラダでも1993年米騒動のタイ米でも世の中には自分の感性と叡智とで本質を言い当て正鵠を射る人というのが少なからず存在する。そういう人が本当のことを言うとき嘘つき呼ばわりされたり冷笑されたりする。
俵万智が先頃、サラダ記念日の日に食べたのはカレー味の唐揚げだったと言っていたし、1993年のタイ米緊急輸入の最初の方は加工用米を主食用にしていたことが証言にある。
緊急輸入のタイ米が不味いという評判が立ちそのすぐ後にテレビCMで米の種類によって加工用に使いますというのも流された。
そういう真実に気がついて指摘したときには嘘つき呼ばわりされたり冷笑されたりする。だがのちに真実というのは時という魔法の薬でかならず露わになる。
緊急輸入を決めた1993年9月30日に畑英次郎農林水産大臣(当時)は記者会見で他用途米を主食用に転用するので供給不足は避けられない、加工米を20万トン輸入し端境期に不足する懸念があるので主食用も年明け早々に手当てすると述べている。

参考資料
1993(平成5)年10月1日 日本経済新聞1面
年内に加工米20万㌧
コメ緊急輸入、農相表明 冷害対策閣僚懇
 政府は三十日、記録的な冷害への対応策を協議するため、武村官房長官、畑農相、藤井蔵相ら関係七閣僚による冷害対策閣僚懇談会を開き、各省庁が協力して冷害対策をとることで一致した。終了後に記者会見した農相は「あくまでも特例措置」と強調したうえで、コメの緊急輸入を実施する方針を正式に表明した。具体的な輸入量については「年末に需要が増える加工米を年内に二十万㌧輸入する」とし、主食用についても「輸入の打診を早めにする」と述べた。また農水省が同日発表した九三年産米の作況指数(平年作=一〇〇)は著しい不良を示す「八〇」で、戦後最悪の水準となった。
 閣僚懇談会では農相が冷害対策として被災地の農家に対する農業共済金の早期支払いや天災融資法・激甚災害法の早期発動など八項目の実施を求め、了承を得た。今後は各省庁が具体化に向けた検討入る。
 農相は会見で、コメ需給の安定のため緊急特例措置としてのコメの輸入、他用途利用米の主食用への転用などを実施する意向を表明。来年度以降のコメの作付け制限(減反)の緩和について早急に検討し、十月に緩和幅を決める方針を示した。
 コメの輸入について農相は、他用途米の主食米転用で「供給不足は避けられない。年末に向けて二十万㌧輸入するよう指示した」と述べるとともに輸入先としてタイ、米国、韓国などに打診していることを明らかにした。

1993(平成5年)年10月1日 日経産業新聞1面
政府、コメ緊急輸入を決定 窮地の全農 変革には好機
‘’牙城死守‘’ならジリ貧
 政府がコメの緊急輸入を決めたことで、四兆円のコメビジネスがにわかに活気づき始めた。「緊急避難的なもの」であることを強調するが、食糧管理体制に風穴が開いたことは間違いない。食管制度の崩壊はコメ市場を一手に握ってきた‘‘ガリバー’’全国農業協同組合連合会(全農)の支配構造の一角が崩れることを意味する。窮地に立たされる全農。だが、それを逆手にとって自己の体質を変革すれば巨大なコメ企業に化ける可能性もまた秘めている。
外圧使う業者も
 「緊急特例措置として加工用のコメを二十万㌧輸入する」。三十日夕、記者会見に臨んだ畑農相はこう明言した。主食用のコメについては言明を避けたが、全体で百万㌧を超す輸入規模になる。これは国内需要及び世界全体のコメ貿易量の約一割に上る膨大な量だ。現在の価格水準で単純計算すると、約四百億円のビッグビジネスが生まれることになる。
 「市場開放に備えて動いているわけではない」。三菱商事、伊藤忠商事など食糧庁からの‘‘指定’’が予想される商社は強調する。が、そのそばで緊急輸入に向けた準備を着々と進めつつある。輸入先のタイや米国ではすでに輸出業者とのパイプ作りが始まっている。
 「マスコミからの電話にいちいち対応している暇はない」とある担当者は言い放つ。「おたくはどのくらい出せるのか」「品質や農薬使用はどうか」ーー。各商社はここ一両日、現地とのやりとりに追われる。
 この夏、コメの凶作がささやかれ始めたころから、各商社には農水省から輸入についての打診があった。ウルグアイ・ラウンドを横目に手ぐすねを引いて待っていただけにチャンス到来というわけだ。
 炊飯米や外食事業を手掛ける商社にとって、原料としての輸入米は魅力に映らないはずはない。すでに海外でコメを生産・販売したり、三国間貿易でコメビジネスの経験を積む商社は多い。百万㌧規模の輸入は各国コメ業者との取引ノウハウを蓄積したり、消費者の反応を探るうえで、重要なモデルとなる。
 輸入を任される商社以外にもコメビジネスを虎視眈々(こしたんたん)と狙う企業は多い。山種産業は「緊急輸入の指定商社が自由化後も既得権としてコメ輸入にあたるのはおかしい」(山崎誠三会長)として、コメ輸入が自由化された場合には、コメ輸入権を与えるよう食糧庁に求める構えを見せている。米国政府に働き掛け、外圧を使って輸入権取得に動く卸業者もいるという。
若手に危機感
 水面下で活発化する商社を横目にこれまでコメ市場を牛耳ってきた全農はいら立ちを隠せない。全農傘下の農産物輸入商社、組合貿易(東京・千代田)は、食糧庁からコメ輸入商社として指定されていない。
 政府が緊急輸入を決めた三十日、くしくも同日付で就任した本橋元・全農会長がコメ担当の尾崎進常務を率いて、連立与党、自民党など関係各所を忙しく陳情に回った。緊急輸入は仕方がないとしても、それを市場開放につなげるのは「絶対阻止。一粒たりともコメは入れてもらっては困る」。十年一日のごとく繰り返してきた全農の主張はまったく変わることがなかった。課長以下の世代は全農全体が時代の波に揺さぶられることに強い危機感を持っている。今回の問題が表面化する前、ある若手職員が「全農が反対しても市場開放は不可避。それなら我々が自分で輸入したい」とひそかに食糧庁へ働き掛ける場面もあった。
 この六月、若手グループの議論の内容をまとめた内部文書が外部流出して「全農がコメ輸入体制整備」と報道されるという事件があった。この事件を契機に全農上層部はコメ輸入に対する自由な議論を事実上、禁止した。食管法堅持に固まった全農上層部は若手の意見に耳を貸す余裕はなかった。
 が、このまま自由化となると、輸入米は商社を代表とする商業資本、国産米は全農という図式ができかねない。自由化後、国産シェアを急速に減らす牛肉市場がその可能性を示している。国産米のシェア低下そのまま全農支配の落日につながる。
 劣勢に立たされた全農にとって、残された道は機先を制して自由化後の新しい時代での支配構造をつくりあげることだ。自由化前に到来した緊急輸入という異常事態はそれを実行に移す千載一遇のチャンスでもある。
シェア落とす
 しかし、三百万戸のコメ農家の味方という立場はどうなるのか。ある農業問題の専門家は四十年ぶりの不作という大義名分を使える今なら、農家を説得できると指摘する。「商社がコメ輸入に色気を見せている。コメ市場を商業資本に荒らされるくらいなら、農家の代表である全農が輸入手掛けたほ方が良い」というのその理屈だ。
 全農の九三年六月期の取扱高六兆八千三百十五億円で最も比率が高い。農薬、配合飼料のシェアが商業資本の侵食で落ちてきているなかで、コメは最後の牙城(がじょう)だ。生命線ともいえるコメが脅かされているなかで、全農にとっては逆風を利用した最大の「社内改革」の好機を迎えている。それに失敗すれば、マンモスの運命が待っている。
(産業部 伊東浩一、東京商品部 千葉研)

1993(平成5)年10月1日 毎日新聞1面
加工用米 年内輸入20万㌧
主食用も年明けに
閣僚懇が冷害対策 農家支援など8項目
 政府は三十日、農水、大蔵、自治など関係閣僚による冷害対策懇談会を開き、戦後最悪の作柄となっているコメの緊急輸入と、被災農家の支援策など八項目を決めた。畑英次郎農相は懇談会後の記者会見で、加工用米輸入を年内に二十万㌧実施、主食用についても「来年の端境期に不足する懸念がある」とし、年明けに手当てする方針を示した。
 この日発表された作況指数は、今年度の収穫量が当初より二百万㌧ダウンする見込みで、輸入量が百万㌧を超えるのは必至。畑農相は今回の措置は「異常気象による緊急避難」としているが、新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)でのコメ開放圧力が高まるのは確実と見られる。
 懇談会では、九月十五日現在の水稲の作況指数が八〇の「著しい不良」に落ち込んだことを受け、畑農相が「緊急特例措置としてコメの輸入を行う」と表明。さらに「緊急輸入と新ラウンドで論議されている貿易ルールとは次元の異なるもので、今後もこれまでの基本方針の下で対処する」と、関係閣僚の了承を求めた。
 畑農相は主食用について、「(来年産の新米が出回る前までの)端境期には不足する懸念があり、検討を加えねばならない」と輸入を示唆。「不足したからといって輸入米だけ食べてもらうわけにはいかない」と、年明け早々にも主食用も輸入して国内産とともに供給する方針を示した。
 輸入国について同農相は、「輸出できる国はタイ、米国、ベトナム、中国、インド、オーストラリアなど」を挙げ、タイや米国、豪州を中心に複数国になる見通しを示した。
減反政策は今後も維持
 減反を進めながら輸入という事態を招いたことについて畑農相は「百年に一度ともいえる冷害が要因」とし、来年度の減反緩和策を十月末までに決める一方、「需給ギャップは現存しており、生産調整は今後も続けていく」と減反政策を打ち切る考えのないことを明言。懇談会では、被災農家の救済のため、共済金の早期支払い、天災融資法・激甚災害法の早期発動、被災地域への公共事業の推進、被災農家への就労あっせんなど八項目の総合対策を推進していくことを決めた。
収穫量850万㌧
 農水省は三十日、九月十五日現在の一九九三年産の水稲の作況指数が全国平均で戦後最悪の八〇(著しい不良)、一〇㌃当たりの収穫が三百九十七㌔にとどまったと発表した。この結果、今年産水稲の収穫量は「八百五十万㌧程度」(統計情報部)で、当初予想の千五十万㌧を二百万㌧下回ることが確実になった。
 収穫が四百㌔を割り込んだのは、六五年の三百九十㌔(作況指数九七)以来。地域別の一〇㌃当たりの収量は、青森が百八十四㌔、岩手が二百十五㌔、北海道が二百三十三㌔と、前年の三〇ー五〇%にとどまっている。道南や東北の太平洋岸では、作況指数一ケタの地域もあった。

注 毎日新聞の記事にある10㌃当たり収穫量は1965年の390㌔と1993年の397㌔であるのはクボタのサイトにある西暦1桁5年の10年ごとの経年データと比較すると年々単位収穫量は増加の一途である。1993年が緊急輸入になるほど作況指数が悪かったので単位収穫量も少ないのではないかと毎日新聞に問い合わせたのだが、実は年々の増加量からみたら1993年は少ないという話らしい。電話で記事の引用の記述の転記ミスかもしれないからと読み合わせを依頼して縮刷版の数字と転記した数字とを照合したが転記ミスはなかった。読み合わせに付き合ってくださった方は親切だったが私の錯誤の思い込みで水掛け論になってしまったので事実が判明してから毎日新聞に再度電話をかけて謝罪した。