表現は誰のものか

 作品を発表するというのは表現して伝えるためにするんじゃないのかね。売るために表現したいことが大体は引っ込むと思うがね。表現したいことが売れるようになる時など個人差があって、自分が死んでから話題になるっつうたら、宮沢賢治とかそうですがな。

 食べるために表現を商売にするのならそらあビジネスなので常に他者の存在がでんと横たわっております。人が興味を示すものを提供して対価を得て食べていくんですよ。それが表現したいことと著しく解離していって作品発表しなくなった人というのもようさんおりますわ。

 無名の作り手には発言権すらない時代とは今は違いますで。
 普遍の地平線の向うに行った古典作品にはそれを表現した人間の著作権などないんですよ。そこまで表現してしまうことが本人にその定着化の時などえらべませんで。古典ではなく息の長い流行作品つうのもあるんだし。自分が食えたらいいとか自分の周囲だけが潤えばいいという表現だけがあるんじゃないで。