社会に参加の様々な姿

消費行動によって社会参加するのでもそれは社会と関わっていることではないか、と本に書いた人がいる。
スタバに毎日コーヒーを飲みに行くとか、買い物に行く、娯楽サービスを享受する、そういうことの中で、暇を見つけてその模様をレポートする、とか利用したことをアンケート情報で企業に市場調査の情報提供する、とかをすれば、消費行動を取っていることで市場調査情報を提供して対価を得るということもあったりする。
消費行動を取っていることで何十人かの人間たちの仕事を生み出して、それによりその何十人かの労働対価に寄与するのであれば、消費行動を取っていることも社会に参加している姿ということになる。
生産活動に参加するのでなければ勤労の義務を果たしていないという発想ではなく、社会生活に参加しておれば勤労の義務を果たしているという発想にシフトすれば、社会を構成する全員が参加していることになり、生活が仕事となっている人々もそのことにより社会に参加していることとはならないか。
生産活動に参加する人々もいる一方で消費行動により参加する人々も一定数いるという現実に立脚してそれぞれ精一杯毎日生きて暮らしているのならそれでいいのではないだろうか。