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ブラフマン

 昨日、ホームページ制作の打ち合わせで隣市の高岡市まで、あいの風という鉄道で向かって小さな旅をしてきました。

 クライアントさんは名古屋の方々で、姉妹店である高岡のお店に研修にいらっしゃっていて、駅前のマンテンホテルというホテル内の喫茶店で打ち合わせだったのです。

 お相手さまは4人で、なかなかにパワー溢れる方々で、かなり圧倒されつつも楽しい時間でした。新事業を立ち上げる、しかもかなり面白いことをされようと動いている方々、パワーあるのはあたりまえとはいえ、うれしい出会いとご縁にありがたさが込み上げる1日でした。

 前夜に全然睡眠をとらないでの打ち合わせだったので、若干動悸高めでフラフラではあったのですが、実りある時間だった。

 高岡市は通常は車でばかり行っていたので、徒歩で駅前に降り立ったのは20年ほどぶり。高岡市の駅は新幹線駅と在来線駅に分かれていて、ぼくが向かったのは在来線駅。打ち合わせよりも5時間も早く着き、散策。

 びっくりしたのは、その閑散ぶり。

 向かう道ズラーッとすべてのシャッターが閉まっている。

 唯一ある百貨店はなにかこう、入るのに勇気がいるような静けさ。2Fから
上の階へは行けないようになっている。

 コロナが明けて、夏になって、街も活気付いたように感じていたけれど、やはりコロナの影響はかなり深刻なのだなと感じました。
 
 高岡市そのものは郊外店、ショッピングセンターイオンなどは活気付いていて、新規出店なども富山市よりも多いのですが、在来線の駅前がもうなんとも、寂れたスナックや、閉まったままのシャッターのオンパレードで、これは大丈夫なのかと思ってしまいました。

 帰り道もあいの風の鉄道で富山に戻り、富山市の駅前を見れば、こちらはまだやや活気があり、人々の表情からも夏のエネルギーが感じられる。 

 インド哲学では全ての始まりの神をブラフマンと呼び、これは真我とおなじとされて、全ての生命は等しくブラフマンであるとされているのだけれど、バスの窓から人々の表情を見ていると、ああ、すべてはおなじなのだ、と不思議な感覚になりました。

 親しい生命が哀しければ、自分も胸が痛み、なんとかしてあげたいと思う。親しい生命が幸せにいれば、自分も嬉しくなる。誰もがおなじ。

 つらいことがあってでも、頑張ってみようと思いながらみんな一所懸命に生きている。

 全ての表情のその奥におなじ魂を、スピリットを感じました。

 人生、世の中は捨てたもんじゃないと思います。

 何を見て生きていくか。人生をどう見るのか。

 好感と不快感を拭い去って、フラットに見渡せば、全てはブラフマン。

 人はみんな、愛の光を胸に宿している。

 ということが見れた小さな旅でした。

 そんなに大げさに話すようなことでもないのだけれど、人生、頑張りたいなと思います。

 Makoto ATOZI









 

 




 


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