民主主義と左利き

シニスターという言葉

総合科目の「政治学(A)」を勉強する中で、参考文献として、宇野重規先生の『民主主義とは何か』を読んでいたときのこと。

J・S・ミルの『代議制統治論』を引用して代議制民主主義を解説するところ(見出しは「代議制民主主義論の完成」)で、ミルが「邪悪な利益(シニスター・インテレスト)」という言葉を使っている、と紹介されていた。

ミルはしばしば「邪悪な利益(シニスター・インテレスト)という言葉を使います。議会においても、しばしば社会全体の利益ではなく、特定集団の利益が跋扈し、全体を振り回します。とくに多数者支配の民主政であれば、党派利益や階級利益が支配的な権力の座に就くことを免れません。人間には多かれ少なかれ利己的な部分と非利己的な部分があります。世の中には、目先の利益しか考えない人もいれば、将来のことを考える人もいるのです。しかし、人は権力の座につくとどうしても、利己的利益、それも目先の利益を優先するようになります。より強大な権力の下にあるときは控え目で理性的であった人も、自分が最強の権力者になるとすっかり変化してしまうとミルはいいます。(宇野重規『民主主義とは何か』講談社、2020年より)

で、ふと気になって、シニスターという言葉を検索してみたところ、意外なことがわかった。

「シニスター」の意味

「シニスター」の英語のつづりは sinister で、意味は
1 邪悪な、悪意のある、腹黒い
2 運の悪い、不吉な
3〔紋章の〕左側にある◆盾の中の模様が着用者から見て左にあること。◆【対】dexter
4〈古〉左(側)の
である(英辞郎 on the webより)。
なんと、同じ単語で「邪悪な」という意味と「左側」という意味があるらしい。

そして、かなり興味深い記事を見つけた。

この記事では、2000年のセンター試験で出題された英文を紹介し、英語・フランス語・ラテン語における「右」と「左」、インドでの生活における「右」と「左」を参照して、右が「正」や「浄」であり、左が「邪」や「不浄」であるとされていることがいろんな面で見てとれることを示している。

「左側」がこのような扱いを受けていたのであれば、左利きとして生まれた子供の利き手を右利きに矯正していたかつての風習も、親心としては理解できる。現在では、左利きを右利きに矯正することは、だいぶ少なくなっているようだが(根拠はなく、いろんな人との会話のなかでそのように感じるだけ)。

左利きの不遇

小さい頃は、左利きであることが嫌だった。ソフトボールや野球のグローブは右利き用ばかりで、仕方なく、左にはめるグローブを右にはめて参加していた。球が捕りにくかった(当たり前だ)。ボーリング場に行っても、ボーリングの球は右利き用に穴が空けてあるので、左利きの人は総じて多くのピンを倒すことができない。

世の中において多数を占める右利きの人にとっては、普段の生活で不便を感じることは少ないだろうが、少数派である左利きの人にとっては、まだまだいくつかの場面で左利きであるがゆえの不便を感じることがある。電車に乗る時、自動改札を通るたびに、そのようなことを考えている。

民主主義における多数派

冒頭の政治学の話に戻る。宇野先生の本によれば、民主主義における多数決については、ものごとを多数決で決めることには一定の有効性はあるが、多数が常に正しいとは限らないので、少数派の意見は抑圧することなく尊重されなければならない、と説明されている。

ものごとを決めるときも、もののデザインにおいても、少数派への配慮は必要だと感じた次第である。

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