見出し画像

タイムベースコレクター⑦副調整室

私がB社に入社する半年前、すなわち1985年9月にテレビ朝日はアークヒルズに新しく放送センターを開設・報道機能を移設して10月から久米宏さん司会で「ニュースステーション」という報道ワイド番組を放送しはじめました。
そしてなぜか?私達B社の編集マン達は、そのニュースステーションフロアの西側の壁に作られた5つの編集室でスポーツニュースを編集していました。今考えても不思議な事です。
スポーツニュースの記者達は同じ階でも別のフロアに居て、報道の編集マン達は別の会社の所属で別の階にいて、そこは報道サブと直結していました。

AIさん作画、もう少し小規模です


今思えばおそらくあのフロアが報道のフロアで、私達が居たのはステーション内のワイド担当フロアだったのかも知れません。ただ久米宏さんも番組を仕切るオフィスツーワンの人も報道部長の早川さん(後のテレビ朝日社長)もそこにいて、部長とツーワンの人(陰でMrスポックと呼んでました、ごめんなさい)2人は何やらしょっちゅう怒鳴りあっていました。
私達の主な仕事は、ニュースステーションの中で放送する「プロ野球速報」でした。当時スポーツニュースといえばフジテレビのプロ野球ニュースが23時15分からやっていて、尺も長くキッチリしたダイジェストでオジサンには人気でしたがオジサンだけでした。NHKは「ニュースセンター9時」でデイゲームの結果やナイターの前半くらいは放送していましたが、その間の22時台にプロ野球全試合の結果を突っ込んでやろうという目論みです。
とは言っても伝書鳩でフィルムを飛ばす新聞社と違って、撮影したVTRをバイク便で運ぶのはかなりリスクが大きく、ましてや川崎球場や西武球場などは不可能と言えます。
そこで、FPU(フィールドピックアップユニット)というマイクロ波で映像を伝送して局で受ける方法が採られたのですが、

いやAIさん、だいぶ違うけど・・・

長時間に渡って複数のFPUを使うのは報道的に問題がありました。と言うのもマイクロ波は扱いに危険が伴うので国から免許を受けた人間しか使用が許されませんし、ダラダラと使って良いものでもありません。
そこでB社は考えた!
編集室をそのまま車に積んだ編集車を作ればいいじゃないか!
そしてそれを球場に持って行って編集して、アナウンサーも連れて行って音パケにして送ればいいじゃないか!
そうしてニュースステーションのプロ野球速報は放送時刻内に終わった試合は全試合、終わらなくても直前までお見せするというスタイルを作り上げました。
時はまさにバブル真っ最中でした・・・

用語解説
報道サブ
サブとは副調整室の事です。
何が副なのか?というと放送波を出す調整室が主調整室(マスター)でそれ以前の各スタジオの調整室がサブです。
アークヒルズ放送センターには他に3つのスタジオがあり、ニュースステーションのスタジオは地下4階、サブは地下3階にありました。
地上2階のリモート基地で受信した音パケVTRを地下3階までダッシュするのが新人編集マンの重要なミッションでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?