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開幕戦(TBC11)

1988年4月7日、プロ野球公式戦開幕前夜は4月にしてはとんでもなく寒い日でした。けれどテレビ朝日の構内にある毛利庭園は花見で賑わっていました。恒例の夜桜には出店まで駆けつけて飲めや歌えの大騒ぎ。
そのすぐ横の広々とした駐車場にポツンと止めたマイクロバス・トヨタコースター。私と先輩1〜2人は明日の開幕戦に向けてこのマイクロバスに編集機を設置しているのでした。

当日は大雪でした

1988年4月8日、プロ野球開幕戦であると共に、この日は東京ドーム開館後初の公式戦でもありました。デイゲームで巨人vsヤクルト戦がナイターで日ハムvsロッテ戦が行われたのですが、珍しい春の大雪の影響やオープンスペースの後楽園球場と違って回転ドアで出入りする東京ドームに慣れていない事もあって人の入れ替えがスムーズにいかずナイターの試合開始が少し遅れたと思います。
記者はテレビ朝日のベテランFさん、編集マンはベテランのYさん(後の部長)でしたがなにぶん慣れない機械と開幕戦の緊張もあってか、ギリギリにVTRが出来上がりました。

これは資料テープです。イマドキ素材なんか残ってません。


私はそれを持って走る走る。
地下のブースまで行くと伝送機コンソールのメイン電源を入れ、リモートに電話。「カラーバー1KCお願いします」と言ったものの絵が出ません。
焦る。
ブラウン管のモニターは明るい灰色でテープが無信号かもしれない可能性を見せています。
携帯電話なんか無い時代、ダッシュで車に帰って伝えると再生チェックして「問題ない、急げ」
その後、局と記者の間でどんなやり取りがあったか?スポーツデスクとナウディレクターの間でどんな話しがあったか?私は知る由もありません。
追いかけて来たYさんが「モニターの電源が入って無いじゃないか!」再生してみるとちゃんと映像は出ました。
「よし頭出して、リモートに電話」キュルキュルキュル・・・
時々、時間がとても押している時に限って、現場から生でVTRを再生してスタジオがとって放送する事がありましたが、その日は「違う」と確認していたはずでした。
でも・・・全国放送で巻き戻しを出してしまいました。ヤッテモウタ。オワタ。
局に帰って来た私は針のむしろ。
スポーツニュースの部屋で記者のFさんだけが庇ってくれたと後日聞きました。




最初の編集車(後に太郎号と呼ばれる)はトヨタダイナのシャシーにコンパクトに機材を詰め込んだ小回りのきく車でしたがなにぶん狭い。背の高いKアナウンサーなどは一緒に座れず車の助手席から体を捻ってナレを付けたりしていました。
そこで、広々としたコースターに編集室のフル規格を設置しようというのです。
それがなぜ開幕前夜にやっているかと言うと

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