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北京アジア大会(TBC13)

1989年6月4日、中華人民共和国の天安門広場に集まった群衆に対し、民衆の味方だったはずの人民解放軍の戦車が突っ込み、かの国はそれまでと違う方向性を示しはじめていました。
翌年1990年の夏に北京でアジア大会(オリンピックのアジア版)が開催される事が決まっていて、スポーツ取材という名目で沢山の機材と記者が入りました。
海外の仕事というのは編集マンにとって一人前であり信頼されている事の証でもあります。私もそのメンバーに参加することになり、カルネを書いて、簡単な中国語会話の本を読み、VISAの代わりに簡単な中国政府発行の身分証みたいなのをもらって入国しました。
記者やカメラマンは入国当日から大忙しですが、編集マンは素材が来ないと仕事はありません。
街中に出て個人的に色々写真を撮って歩きました。

上のスタジアムもこの絵もAIさん作画です

天安門広場で足元の銃弾跡らしき物を撮影していたら、警官が駆けつけて来たので、そそくさと移動して義勇軍進行歌(中国の国歌)の碑を観光客風に撮影して帰りました。
他にも色々観光名所も巡ったのですが、それはまたいつかの機会に。
北京アジア大会は地元では大いに盛り上がりました。私たちは中国特有の美というかセンスに感銘をたくさん受けました。

国家的美女のチャイナドレスは選手達も嬉しそうでした

国際放送センターというメディアを全部まとめて封印できるようにしたビルのロビーでは弦楽四重奏の生演奏があり、民謡を洋楽風にアレンジした曲に聴き惚れました。
https://youtube.com/watch?v=ruc7Oi8qjiU&feature=shared
あ、もちろん仕事はちゃんとしました。色々。
徹夜で編集した事もありましたし、アフレコが必要になった時は「中国語会話」を活かして学生さんをスカウトしたりもしました。
元気かなぁ・・・高珊・・・

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