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川崎球場(TBC12)

全国放送でキュルキュル巻き戻しを放送してしまったワタクシは反省の日々を送りました。テレビ局にとって無信号が出る「放送事故」や意図しない映像が出る「不体裁」は放送法によって免許されている放送事業者としての立場を危うくする行為であって、下手すると管理者の首が飛びかねない事態だったのです。
私はひたすら編集室にこもって試合ハイライトや珍抜き(珍プレー好プレーだけ抜き取る)をやっていました。これ案外目を肥やす効果があるんです。
そんな努力が実ったか、単なる人手不足か知りませんが、1989年には一人前の証しである球団担当になりました。ロッテオリオンズの川崎球場担当です。
上の絵はAIさんが描きました。私じゃありません。
川崎球場の名物と言えばおばちゃんの指出汁ラーメンとロッテのお菓子です。

AIさんは非衛生的な画像は拒否されます

バックネット下、球審のすぐ後ろに窓がある記者クラブの詰め所には球団から支給されたロッテのお菓子が積まれていて好きなだけ食べて良いのですが、そこは記者クラブ、つまりペン印のバッジを着けた記者しか入れません。我々下請けは新聞カメラマンの伝書鳩と同じ扱い・・・いや卑下するのはやめましょう。
川崎球場の本当の名物は日曜日の村田兆二さんと、それ以外の日の外野の珍プレーです。
マサカリ投法で有名な村田兆二さんはもうすぐ悲願の200勝なのですが、チームが弱くてなかなか勝てない。あと少しというところで打たれてはピッチャーマウンドで悔しがっていました。その様子に感動した河島英五さんが「地団駄」という曲を書いたくらいです。
川崎球場の外野スタンドは人影が少なく、何かしていると目立つというので、消化試合ともなると色んな目立ちたがり達がやって来て、こっちも面白いから試合そっちのけで撮ったりしました。
キャッチボールしてるやつ、ソーメン流ししてるやつ、ディープキスしてるカップル、紙芝居のおじさんは球団認定でした。
そんな川崎球場でしたが、村田兆二さんが200勝を達成したのは遠征先の山形球場でした。1989年5月13日、日ハム戦「またポカやるとシャレにならん」というので、日ハム担当のT先輩が出かけて行き私はお留守番でした。
https://youtube.com/watch?v=Tc-VNAkrLpw&feature=shared

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