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カリフォルニアの空は、何色なのだろう?

カリフォルニアの青い空

ポピュラー・ソングに「カリフォルニア」が登場するのはいつの頃からなのか、おそらく相当に昔のことだろうと思う。19世紀中頃にはカリフォルニアで新たに金が発見されたことから、一攫千金を求めるゴールドラッシュが起きた。この時にはアメリカ国内のみならずヨーロッパからも入植者があったほどというから、カリフォルニアという言葉が相当多くのアメリカ人の口をついたことはずだろうし、歌にも歌われたに違いない。「カリフォルニアはエデンの園。住むならパラダイス。お金があればね」と、ウディ・ガスリーが「Do Re Mi」において歌ったのは1940年のこと。すでに誰もが抱いていたカリフォルニアへのイメージが、こうして歌詞に記されている。

「夢のカリフォルニア」と言えば、1966年に発表され全米4位となったママス&パパスのデビュー・ヒット。東海岸の寒い冬のとある日に、失意の男性が、一年中からっと暖かいアメリカ西海岸カリフォルニアを思い描く。ここでもカリフォルニアは、まだ夢の場所だ。

楽園のイメージが重ねられてきた「カリフォルニア」が、ポピュラー・ソングにおいてやや異なった様相を見せるようになるのは、70年代に入ってからかもしれない。

1972年に発表され全米5位となったアルバート・ハモンドによる「カリフォルニアの青い空」では、成功をつかもうとハリウッドにやってきた俳優志望の男が、自尊心も無くしパンも切らしてしまったと、夢のひとかけらも掴めずにいる姿が歌われている。「南カリフォルニアでは雨が降らないと聞いていたけれど、一度降り出したらドシャ降りだよ」としながら、「この傷心の日々を故郷の友人たちに見られたくない」とつぶやく。そして故郷の人には「もうすぐ成功しそうだと伝えてくれ」と言う。

歌詞からすれば「傷心のカリフォルニア」とでもすればよかった内容なのだが、邦題の「カリフォルニアの青い空」(ラジオ電話リクエスト番組のリスナーによる命名!)と温もりのあるメロディによって、おそらくは随分と違った受け取られ方をして来ている歌だ。日本ではエバーグリーンなポップスの一つになった。

グラディス・ナイト&ザ・ピップスが歌って1973年秋に全米1位のヒットとなった「夜汽車よ! ジョージアへ」。カントリー系のシンガーソングライターのジム・ウェザリーが書いた「Midnight Plane to Houston」を改編した歌だ。

スターを夢見てロサンジェルスに出てきた男が、この物語の主人公。夢破れ、持ってきた車を始めすべてを売り払い、片道切符を買って故郷ジョージアに向かう夜行列車に乗り込む。ここまでは「カリフォルニアの青い空」と似ているシチュエーションだ。ただしひと味ちがうことには、彼の隣に座る女性がいる。ありったけの愛を乗せて、彼の世界に向かうと歌う彼女が、物語のもう一人の主人公だ。物語は、彼女の問わず語りで進行する。

グラディス・ナイト&ザ・ピップスの女性ヴォーカル、グラディス・ナイトは、ジョージア州アトランタの出身だった。これがこの歌のスパイスとリアリティになった。


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