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「ジョン・ヘンリー」に刻印された白人音楽文化の影響

音楽文化論の聴講[第2回]
ロックンロール前史 | 黒人奴隷史と、ブルース、R&B

この9月から大学に通い、聴講生として音楽文化論を受講しています。ここでいう音楽とは、ポピュラー音楽のこと。それもロックの成立と発展の道筋を、アメリカ史とイギリス史を踏まえつつ辿るというもの。かねがねきちんと勉強をしたいと思っていた念願がかない、週に一度の通学を始めました。

2回目の授業において、ロックの音楽ルーツのひとつとしてのブルースについて、"ブルースは黒人の労働歌と西洋起源の白人系バラッドの結合と考えることが、今日では常識となっている"との教示がありました。そういえば、そのような考察を読んだことがあるとして思い出したのが、大和田俊之著による「アメリカ音楽史」(2011年)です。

同書の34ページでは、「ブルースが成立する初期の段階ですでに白人の音楽文化が密接にかかわっていた」との記述があります。その一例として、アメリカの歴史学者、スコット・ネルソンが著書「Steel Drinvin' Man - John Henry- The Untold Story of American Legend」(2006年)において、「ジョン・ヘンリー」の歌詞内容に英国中世バラッドとの共通点を指摘していると紹介しています。
ボクは、偶然にスコット著のこの本を読んでいました。

「ジョン・ヘンリー」を作った黒人労働者たちは、イギリスから渡ってきた白人炭鉱労働者たちが運んだバラッドを聞いており、"古い英米のバラッドからフレーズを借りてきて「ジョン・ヘンリー」が作られている"として、スコットは2曲の元歌を紹介しています。さらに「ジョン・ヘンリー」の歌中で幾たびも"死の予感"が語られる点においても、英国バラッドの影響を見出しています。

「ジョン・ヘンリー」は黒人労働者が歌い始めたとはいえ、ブルースではありません。しかし、こうして19世紀に生まれた黒人主導の歌に、白人音楽文化の影響が刻印された実例を知ると、ブルースが"黒人の労働歌と西洋起源の白人系バラッドの結合と考えられる"との教示に、よりリアリティを感じます。

南部辺境で、その他の音楽環境からは孤立した状態でブルースが誕生し発達した、ついこう考えがちな傾向がボクにあることに、思い当たります。でもこれは現実を知らない夢想なんですね、たぶん。黒人と白人の音楽が関わり合う"現場"が、新たな音楽を生み出していった、そのひとつとしてブルースを聴く、そうした耳を養うことが必要なんだなと、改めて自覚しました。

とまあこんなことを、授業とその後の復習を通して、勉強しているわけです。
毎回の出欠はスマホ。そして毎回の授業の冒頭の小テストもスマホ。なにが大変って、このデジタルな環境に慣れることが、ボクには一番の難関でした。

明日も授業があります。さてそろそろ復習をして、テスト対策をしなければ。

冒頭の「音楽文化論の聴講[第2回]」というのは、2回目の授業という意味です。1回目の授業は、単位や授業内ミニテスト、コロナ対応などのレクチャーだったので、実質的な講義は、2回目の授業からスタートしました。


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