見出し画像

生まれた国を懐かしむように聞かれたポルカ

アメリカ買い付けも終盤に差し掛かる頃、買い集めたレコードをモーテルの一室に広げて整理をした。西日の入る部屋のあまりの暑さに、思いあまって廊下側のドアを開けたまま作業をしていたら、メイドさんが部屋に入ってきた。

もう優に80歳にほど近いおばあさんだ。「何やってるのあなた達。これ、レコード?いったい、全部でどれくらいあるの?」。1,500枚くらいあった。「あたしの父がレコードを好きでね」と、彼女は問わず語りに話し始める。一家は、ポーランドからの移民だという。夜になると父はレコードを聴いた。日曜になると家族全員でレコードを聴いた。いつもポルカだったそうだ。
父は、自分の生まれた国を懐かしむように、音楽を聴いていた。彼女は蓄音機のゼンマイを廻す動作をする。レコードは、SP盤だったのだろう。「いつもこうやってね。レコードがいっぱいあったわよ、昔は」。ポルカのメロディを鼻歌で口ずさみながら、彼女は部屋を出ていく。「あなた達の部屋、いったい何時に掃除すればいいの?」「あと30分くらいで出かけますから」。彼女の背中に向かって答えた。

ポルカは、1830年頃にチェコに発祥したダンス音楽だ。ほどなくしてスロヴァキアやポーランドなど東欧一帯に広がった。1939年には、ドイツのアコーデオン奏者ウィル・グラーエ率いるオーケストラの演奏する「ビア樽ポルカ」が、半年近くに渡ってアメリカでヒットした。全米1位のレコード売り上げを記録し、併せてアンドリュース・シスターズの歌唱盤が4位、エディ・デランのオーケストラ演奏盤が13位と複数のレコードがチャート・インしている。

チェコ生まれのこの曲が発表されたのが1927年。38年にはウィル・グラーエによる演奏が、ドイツ国内でヒット。さらにこの音源がアメリカに持ち込まれ、翌39年に前述のような大ヒットを遂げた。背景には、相当数の東欧系移民、さらにはドイツ系移民のアメリカでの暮らしがあったのだろう。

翌年の40年、日本でも「ビヤ樽ポルカ」は藤山一郎が日本詞で歌ってヒットした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?