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アメリカのディスコは性的マイノリティの集いの場だった

音楽文化論の聴講[第13回]
1970年代 | クロスオーヴァー、フュージョンの誕生と大人のロック/ディスコ・ブームの到来

●大学の音楽文化論の13回目の授業は、「クロスオーヴァー、フュージョンとは何か/そしてそれらがロックに与えた影響について理解」し、「70年代のディスコ・ブームとその背景を理解」し、そして「対抗文化(カウンター・カルチャー)の象徴であったロックが、また対抗文化それ自体が、メイン・ストリーム(主流)化してゆく動向の一端を理解」するというものです。
以下に、先生の指摘や説明をまとめます。

●1969年に「ジャズの帝王」と呼ばれたマイルス・デイヴィスが電気楽器とロックのリズムを導入したアルバム「ビッチェズ・ブリュー」を発表。従来、アコースティック楽器で演奏するべきものとされていたジャズへの電気楽器導入は、非難を浴びた。しかし同様の演奏やグループが後に続き、エレクトリック・ジャズと呼ばれた。「ビッチェズ・ブリュー」は、ジャズ史を塗り替えるようなアルバムとなった。
70年代前半より、ジャズはロック、ソウル、ファンク、ラテン音楽の要素を取り入れ、16ビートを積極的に導入した。こうした音楽ジャンルの垣根を超えたジャズは、クロスオーヴァー、やがてフュージョンと呼ばれるようになった。
ウェザー・リポート、リターン・トゥ・フォーエヴァーなどが代表的なグループ。

●その由来と誕生の過程を考えれば、そもそもロックはクロスオーヴァーな音楽だったが、70年代の入るとロックには様々な音楽要素がさらに融合した。

・ハードロックにおけるクロスオーヴァー:ハードロック、メロディアスなポップ、プログレッシヴ・ロックの華やかな要素を併せ持つロックが登場し、80年代には米ロックの主流となった。
ボストン、フォリナー、スティックス、カンサス、クィーンなどが代表的なグループ。

・ロックへのソウルとファンクの大胆な導入が行われた。AORの先駆けとなった。
ボズ・スキャッグス、ドゥービー・ブラザーズなどが代表的なグループ。

・ロックへのジャズとフュージョンの大胆な導入が行われた。楽曲への導入のほか、ジャズ・ミュージシャンとの共演、レコーディグへの招聘が行われた。
ジョニ・ミッチェル、スティーリー・ダンなど。

●大人とロック
・かつてロックは若者の音楽であり、大人や、大人の価値観が支配する反抗の象徴だった。"Don't trust anyone over 30"が1960年代後半のカウンター・カルチャーのスローガンだった。
・しかし若者も歳をとれば大人になり、30歳を超える。彼らは、大人になってもロックを聞き続けていた。ポピュラー音楽の聴取研究として、自分が若者だった時に聞いていた音楽を、その後も聴き続ける傾向があることが指摘されている。
・一方で、かつて若者だったロック・ミュージシャンも大人になり自分を見つめ直す時期を迎える。

●AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の誕生
・音楽性を持続するミュージシャンの一方で、大人向けロック(AOR)に方向転換するミュージシャン、またデビュー当時からAORを志向するミュージシャンも登場する。AORは、やがて 80年代の米ロックの主流となっていく。
ボズ・スキャッグス、クリストファー・クロスなど。

●若者に加え大人がロック聴取層となる。
・聴取層の拡大=ロック市場の拡大=レコード売上の増加
・ロックは音楽文化、そして米国文化のメインストリームとなる。

●全米を席巻したディスコ・ブーム
・伝統的な富裕層向けナイト・クラブにおいて、従来のジャズ・バンドの生演奏に代わりDJの選曲によるレコード演奏が用いられるようになったことから、米国におけるディスコは始まった。
・1960年代以降のアメリカ、ニューヨークのゲイ・シーンで発展した。
・1969年、グリニッジ・ヴィレッジでゲイ当事者と警官の大規模な衝突事件「ストーンウォールの反乱」が起きる。これを機に「権力によるLGBTQ当事者らへの迫害に立ち向かう抵抗運動」が活発化した。ストーンウォールとは、ゲイバーの名前。正確にはストーンウォール・イン。
・運動の成果によって、同性同士でのダンスが認可され、LGBTQの社交場としてのディスコのオープンが続いた。従来はソドミー法(同性愛を取り締まる法律)によって、同性同士のダンスは禁止されていた。
・経済不況下で低賃金・重労働に苦しむ米国の若者たち、とりわけ貧しいマイノリティの若者たちが、差別・抑圧される日常を忘れられ、同じ境遇の者が集まる場所がディスコだった。厳しい日常を忘れ楽しもうと、週末にディスコに集まり踊り明かすようになる。
・さらにウーマン・リヴ運動の影響により社会進出した都市部の若い独身女性たちが、気軽に遊べる場所として利用するようになった。
・75年にベトナム戦争が終結し、若者が徴兵の不安から解放され、娯楽を求めるようになるなか、多くがディスコに集まるようになる。
・結果として人種、年齢、性別にこだわらない社交場としてディスコが一大ブームになり、地方都市にも急速に普及した。
・77年にニューヨークにオープンした「スタジオ54」はセレブ達の社交場として有名になり、やがて観光名所となった。

・最新のダンス・ステップを紹介し、レクチャーするTV番組が高視聴率を獲得。
・全米各地のコミニュティやストリートでディスコ・パーティが企画され、老人、子供、田舎の人々、幅広い人種の人々がディスコ・ミュージックに合わせて踊ることが大ブームになった。
・アンダーグラウンドのカルチャーとして誕生したディスコ、ディスコ・ダンスは、メイン・ストリームのカルチャーになった。

●ディスコ・ミュージックの誕生と「サタデー・ナイト・フィーバー」

・ディスコでは当初はR&B、ソウル、ファンクが選曲されたが、75年ごろからディスコで踊ることに特化したディスコ・ミュージックが制作されるようになった。
・その多くはシンプルなビートの繰り返し=誰でも踊れるもの。ディスコ・ミュージックのヒット曲が続々と誕生し、全米各地でディスコ専門ラジオ曲が誕生した。
ザ・ビージーズ、ドナ・サマー、アース・ウィンド&ファイアなど。

・1978年、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の爆発的な大ヒット。
ジョン・トラボルタ主演のディスコを舞台とする青春映画。
・職場でも家でも居場所がなく生きがいを感じられないNY下町ブルックリンの貧しいイタリア系労働者が主人公。
・ハンサムでダンスの名手である彼は、土曜の夜に不良仲間と出かけるディスコではスターであり、ヒーローだった。ディスコだけが厳しく虚しい現実から逃れられる唯一の場所だったが、そうした現実逃避的な生活に疑問を抱き、自身の将来を真剣に考えるようになる。
・全米1位曲を4曲含む「サタデー・ナイト・フィーバー」の2枚組サウンドトラック・アルバムが、全世界で4,000万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。

・ディスコ・ブームが継続するにつれ、多くのロック・ミュージシャンがディスコ・ミュージックそのもの、あるいはその要素を取り入れた曲をリリース。またザ・ビージーズ、アース・ウィンド&ファイアなど、従来の音楽性を変化させ、ディスコ・ミュージックを演奏するグループも登場した。
・70年代末のブームの終焉ともに、ディスコ・ミュージックは急激に姿を消した。ただしダンス・ミュージックそれ自体は、その後も制作され続けている。

●ディスコ・ミュージックのロックへの影響
・80年代のポップなロック、エレクトリック・ロックのサウンドに影響を残した。
・そしてロック、ポピュラー音楽が多様化、高度化する一方で、ダンス・ミュージックとしてのシンプルなロック、そしてポピュラー・ミュージックが、あらためて再び多くの人に意識されるようになった。


●アメリカでのディスコが、当初はゲイ・ピープルの集いの場であり、後々にLGBTQを含むマイノリティの集いの場として発展したという事実を全く知らなかったので、この回の授業をとても興味深く受講しました。
そういえば、過去にアメリカにレコード買い付けに行った時のこと、サンフランシスコのゲイ・エリアの真っ只中、カストロ地区のモーテルに宿泊したことがありました。目的のレコード店やコレクターの家に近いこと、そしてなにより料金がそれなりに安いことを目安に宿泊先を選び、何らの予備知識もなく日本からチェーン・モーテルをネット予約していたので、実際に宿泊してみてそうと知りました。
ただしボク自身が気づいたのではなく、共に買い付けをしている相棒の指摘によるものでした。彼曰く、モーテルの向かい側のオープン・バーから夜ごと聞こえる嬌声に、女性の声が混じっておらず、男性達の声のみが響いていること。イージーリスニングやサントラ、そしてソフトロックを扱っているとってもセンスのいい近隣のセレクトCD&レコード・ショップに集っているのが男性だけであること、その店主が、翌日ウインドウ越しの我々に向けて微妙な仕草で挨拶を送ったこと。道路に張り出しているカフェはほとんどが男性カップルであることなどから、わかったのだそうです。ボクはまったく気づかず、それともいうのも彼らに違和感を感じなかったし、むしろとってもジェントルな人たちだなあと思っていたのでした。そういえばカフェでは多くの女性スタッフがかいがいしく働いていて、のちに聞いたところによると、彼女たちにとって極めて安全な地域であり、仕事場なのだそうです。のちにサンフランシスコ、特にカストロ地区はセクシャルマイノリティの憩いの場として発展してきた歴史があることを学び、確かにそうだとの実感を持ってこれを知ることができました。
ただしその背景には、ソドミー法の撤廃に向けての運動があったこと、つまりLGBTQの権利は勝ち取られてきたものだということも忘れてはいけないのだろうと思います。
また一方で2022年秋にLGBTQの人たちが集まるコロラドのクラブで銃乱射事件が起こるなど、そうした場所が今なお憎悪犯罪の対象となっていることも、残念ながら事実として知っておく必要があるのだろうと思います。

アメリカにおける性的、また人種的マイノリティの集いの場としてディスコは始まり、75年にベトナム戦争が終結して、若者が徴兵の不安から解放されたことから、一気にディスコ・ブームが拡大したのだということを、覚えておきたいと思います。

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