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気がつけば全てがシンプルになっている。

"女子シングル自由型ピヤノ弾き語り" 鈴木亜紀さんのエッセイ集「お尻に火をつけて」。これがとても楽しい。自分のライブに来てくれるお客さんのために配布していたコピー冊子の「さくらえび通信」が評判を呼び、単行本にまとめられた。お尻に火をつけながら「知らないところへ行き、人のフシギを」この目で見尽くしたいと願う彼女による旅の話、音楽の話の様々が、気取らない文体で綴られている。
示唆に富んだ文章があちこちにあって、繰り返し読むたびに、また違う箇所に目が止まる。プロの音楽家が音楽についてさりげなく書く言葉が、なにより刺激を与えてくれる。改めて、それを思い知らされる本だ。

スペインにフラメンコを聞きにいった18日間の旅の途中、グラナダからマドリードに向かう列車の中で、偶然に隣り合わせに座った男性と会話が始まった。彼は、「フラメンコを"聞くと落っこちてしまって"だめだ」と言う。「きっと地の果ての感じが不気味なのだろう。いろいろと、さらけ出されて」いるからと、彼女は想像する。
フラメンコを「地の果ての感じ」で、「いろいろと、さらけ出されて」いる音楽と評するだけでも十分に面白いのだが、その説明が実にユニークだ。こんな風に彼女は書いている。

人類の足元にはマンホールがあって、多くの人はそのフタを気にしないで通り過ぎている。しかしフタを開けて覗き込まないと気が済まず、「そうしないで生きていくことが、空虚に感じられる人が」いる。そこには、下へ下へと踏みこみ地の果てに向かう力があり、開け方をあやまると死んでしまう。でも大抵は死にそうなところまで行って、ちゃんと帰ってくる。「そして気がつけば全てがシンプルになっている」という。
フラメンコをそんな音楽だと思っている彼女は、「フラメンコを"聞くと落っこちてしまって"だめだ」という彼に、「そっから開けていく感じがシンプルになれて好きなんだ」と答える。

これだけ読むとなんのことか、フラメンコを聞いたことがない方には、まったくわからないだろう。まるで禅問答のようだ。しかしフラメンコという魂の奥底からを歌う音楽に一度でも触れたことがあれば、なんとなく感じるものがあるかもしれない。それにしてもフラメンコを聞くうちに、「全てがシンプルになっている」なんて、それは一体、どんな体験なのだろう。未だフラメンコを見知らぬ者への誘いの言葉として、とても魅力的だなと思ったのだった。


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