10年後の自分のために、今さらだけどパラレル親方で気づいたことをまとめておく。

去年の年末、パラレル親方というイベントに参加した。



僕は、この世代(91年生まれ)では珍しく徒弟制度の恩恵に預かってきた人間だった。偶然にも社会人になるタイミングで、とあるヘオジさんに拾われ、社会人としての生き方を叩き込まれた。


僕はそのおかげで組織に属することなく26歳まで生きてこれたので、人と比べて徒弟制度に対しての期待と執着は強い。


だから、柿次郎さんのツイッター上で「パラレル親方」を発見したとき、尋常じゃないくらい胸が高鳴った。

「まじか!!誰かの為に働いて、技術を盗める環境に身を置けるなんて最高じゃんーー!!」とか思ってた。(もともと誰かに奉仕するみたいなことが好きなドM気質だったのもある)

その日のうちに入力フォームを埋めて応募した。もちろん、希望する親方は柿次郎さん一択だった。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


パラレル親方イベントの一週間前、友光だんごさんから「次の土日空いていたら、柿次郎さんの福井の取材に同行しませんか?」というメッセージをもらった。

すぐに土日のスケジュールを全部キャンセルして『いきます!!!』即答し、新幹線の空きも確認した。柿次郎さんの取材に同行できるなんて、もう一生ないかもしれないと思ったから。



本当に行ってよかったと思う。現地で柿次郎さんの取材を間近で見て、それが記事になっていく工程を全て見られたのだから。もちろん福井に滞在中も勉強になることばかりで、本当に楽しかった。

スゴい人にもいっぱい会った。フリーペーパー『鶴と亀』で人気の小林 直博さん、スーパークリエイターの日下慶太さん。バーグハンバーグバーグのまきのゆうきさん。みんな優しくていい人だったことに驚いた。(以前所属していた業界のスゴい人はみんな刺々しくて獄のある人が多かったから)

本当に勉強になった3日間だった。

で、福井出張最終日に、柿次郎さんから「パラレル親方のイベント来るんでしょ? もし本気で弟子になりたいなら、今の会社に辞表を出してから来てね」と覚悟を試される一言をもらった。

そのときは「よしっ!辞表を書こう!!」と心で即決し、東京に戻ってから辞表も書いた。心のどこかで、この流れを待っていた気がする。自分の決意を表明するのには、実にわかりやすいシチュエーションだったから。


そしてパラレル親方イベント当日の朝、「いよいよ今の会社ともお別れか〜。短かったなあ」なんて思いながら辞表を握りしめて会社に出社した。


出社したのはいいけど、辞表は出さなかった。

ライターという仕事をする上で、僕の在籍している会社は適していないことは一目瞭然だし、全てを捨ててフルコミットしないと一流のライターにはなれないと自分でも感じていた。でも出さなかった。

なんで辞表を出す決心が揺らいでいるのか仕事もせず考えた。

福井滞在中に柿次郎さんが僕に言った言葉が頭のなかでグルグルと回っていた。

「菊地君はまだ何者でもない」何者でもない。何者でもない……。


そういえば自分は何者になりたいんだろう。

柿次郎さんみたいに前線でバリバリ活躍する編集者になりたいかといわれるとそうではないし、SNSで活躍するインフルエンサーになりたいわけでもない。


考えれば考えるほど、なりたいものが見当たらなかった。漠然とこれかなって追いかけていた目標も、よくよく考えるとなりたいわけじゃない。


僕って何になりたいんだろ。ていうか、みんなって何になりたくて頑張ってるの?

よくわかんないけど、『柿次郎さんはかっこいいし、その弟子のだんごさんは優しいから、一緒にお仕事するの楽しい』という小学生の感想みたいなモノだけは残った。

今ある環境で、柿次郎さんとだんごさんとお仕事はできないのだろうか。その方法を探ったほうがいいかもしれない、と思った。

今あるアセットを生かしながら、何も捨てずにフルコミットできないだろうか、いつのまにか何かを捨てるのではなく、捨てない方法を考えていた。

冷静に考えてみれば、会社の仲間(主に平山直子という変な上司)も好きだし、今の嫁も好きだから捨てられなかった。

人から見れば、ずるくて甘い考え方と思われるかもしれない。でも捨てるのはやめようと思う。何も捨てなくて済むような、ほどほどの人生を精一杯生きようと思う。


そんな、柿次郎さんとの約束を反故した状態でイベントに参加した。

親方勢、弟子勢の覚悟たっぷりのお話を聞いて「やっぱり自分には無理だな」と思った。自分には●●があるし、、とか色んな言い訳が浮かんでは消えた。

そんな自分を「リスクを取らない、つまらない大人になったな…」とか卑下したりもした。

イベント終了後、柿次郎さんにメッセージを送り、辞表が出せなかったことを謝罪して今いる環境で頑張っていくことを伝えた。


柿次郎さんからは翌日、「ほんとに辞められたら困るなーと思ってました」と返信がきた。やっぱりこの人が好きだなあと思った。


でその後、紆余曲折あり柿次郎さんからHuuuの弟子候補に選んでいただいた。つまりだんごさんの弟弟子候補である。


ガッツだけを見込んでもらった。その期待には全力で応えていきたい。

僕は何も捨てずにやってこ。



本題じゃないけど、初心を忘れないためのメモ

そういえば、僕がライターをやりたいと思ったのは、柿次郎さんの3.11の記事や貧困問題の記事を読んだことがきっかけだった。

こんな暗い話をすらすらと読める文章でまとめている記事をみて、「すげえー」と感動したことを覚えている。

僕は、以前から東南アジアの貧困や人身売買などの実地調査をしては論文を書いていた。

でもこれが読まれない。(もちろん僕に調査を依頼してくれた人や、そのジャンルに関心のある人は読む)話は暗いし内容は重たい、よその国の貧しい人の話なんかしても日本人は興味がない。

無関心な人に、何かを届けることは本当に難しい。これは貧困問題や人身売買などに取り組む多くのNPO法人がぶち当たる壁だ。

だから、自らの叩き上げのスキルで無関心な人に何かを届ける力を持つ柿次郎さんに強い憧れがあったのかもしれない。


10年後の自分、そっちはどうよ。



















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?