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スピリチュアル・アナリシスとは

スピリチュアルとは

スピリチュアルは2000年代前半に江原啓之が広めてヒットした、霊性進化の哲学である。日本ではそういう認識だが、英語のspiritualは「霊の」「魂の」「霊性の」「霊的な」「交霊の」などという意味である。

国内での歴史はわりと浅く、明治から昭和一けた代に浅野和三郎という、霊界研究者であり大本教幹部だった人物が、イギリスで流行していたスピリチュアリズムを学び、復古神道の集大成である平田篤胤の四魂の概念を換骨奪胎させて導入した和製スピリチュアリズム、というのが最初である。

それまではプラトン哲学に端を発する神秘主義の概念構造は国内になかった。

全くないわけではないかもしれない。というのも、ある種のインド哲学は霊的完成を目指して瞑想する修行だが、それが密教や禅となって日本に伝わっているからだ。それはある種、降霊術なのであり、霊性進化の哲学が影響している思想なのかもしれない。

だが、西欧神秘主義がはっきりと日本に刻印されたのは浅野からだろう。

その間、大本教のほかに金光教とか真光教とか様々な新興宗教が勃興した。それは海外のスピリチュアリズムの流行に呼応するかのようだった。

その後、1980年代には「精神世界」というジャンルでオカルト・スピリチュアルが展開された。その中に、とりわけ霊性進化を謳う「シルバーバーチ」などを近藤千雄が輸入して、江原啓之に影響を与えた。

日本にスピリチュアルの概念を流行させるうえで、江原啓之の果たした役割は大きい。江原はオカルト興味の充足のためにではなく、精神論としてスピリチュアリズムを持ち込んだ。霊性進化を軸とした心の哲学である。

それが物質至上主義で疲弊した日本人の心を癒し、広まった。物質至上主義とは、戦後世代、団塊の世代に発する情のこもっていない経済活動のことである。バブル経済が終焉した時、枯れ切った日本人の心は、癒しを求めていたのだ。そこで物より心が大事なんだよ、という江原の精神論が響いたのだ。

その後、有名霊能者である下ヨシ子とか、幸福の科学の大川隆法などが、それまで仏教用語を使って活動していたのが、急に「スピリチュアル」を名乗りだした。いや、名乗らざるを得なかったのだ。それほど、江原というライバルが強敵だったのである。

それで、テレビの胡散臭い除霊番組とかも全部ひっくるめて「スピリチュアル」となったし、霊感商法まがいの占いも「スピリチュアル」となった。本来、スピリチュアルとは霊性進化の哲学についての事だったはずだ。それが今や占いの代名詞となっている。

もっとも、英語のspiritualは降霊術の概念を多分に含むため、占いが「スピリチュアル」というのもあながち間違いとは言い切れない。それがspiritualismと「主義化」しても同じで、日本で「スピリチュアルとスピリチュアリズムは違う」と仮説してみたところで、英語では単に「主義」が付属しただけだ。

だが当初、江原が広めたスピリチュアルとは霊性進化の哲学だったし、浅野和三郎の時からそうだった。

霊的知識を分析に使うとはどういうことか

アナリシスとは分析の事だ。私は霊的知識を理性的、現実的に使おうとしている。

今現在、「スピリチュアル」と言ってしまうと、占いではどうなるか、という話になってしまう。

霊性進化の哲学は、それだけでまとまった思想体系なのだから、それによって現実の物事を分析することはできる。それを占いに持っていこうとするのは、本当は邪道なのだ。歴がどうの、ホロスコープがどうの、といったことは本来霊性進化の哲学とは関係ない。

そういうと、カバラとかあっち系は神秘主義系の占いなのでは?という疑問もあるが、話がややこしくなるからここでは放っておこう。

霊性進化の哲学を軸に、現実の事象を論じるのがスピリチュアル・アナリシス(霊的分析)だ。

スピリチュアル・アナリシスは社会にどう有効なのか

死後の世界はない、と言う人もいる。しかし、他の記事で論じるつもりだが、死後の世界はあると私は主張する。それは臨死体験というジャンルで決定的証拠が出たからだ。

その根拠に従うと、結論はどうしても霊性進化に行きついてしまう。実は、その根拠たちは霊性進化を否定している。この世に生を受けることを、「冒険」とか「楽しみ」などと表現し、カルマのシステムが無かったことにされている。カルマのシステムが欠落すると、霊性進化の哲学は完全に崩れ去る。

だが私はここで踏みとどまった。冒険とか楽しみのためにこの世に生を受けるとしたら、それを達成した後には何が残るのか?

霊性進化しかないのだ。

そうなった時、否定されたはずのカルマや階層、類魂などの諸概念は蘇ってくる。

ということは、霊性進化を根拠に現実を評価することは死後の世界から見て真実なのであり、的を得ている筈なのだ。

実際、何が起きるのかは私にも分からない。社会にどう有用なのかも分からない。だが、そこで絞り出された結論は、何がしかの新しいインスピレーションを創造させるに違いない。今まで誰もやってこなかった手法、私にしかできない思考インフラがあるのだから。

私は社会についてのあらゆる知識を、確かな順で採用して物事を判断するのだが、私に特別な有用性があるとしたら、霊的知識があることなのである。

霊的知識は、現実的に確定された知識から見たら確かとは言えない。しかし、霊性進化を単に「人間的に成長することの哲学」と置き換えてみたらどうだろうか。霊性進化と言わずに、別の理由でもつけて、進歩とか成長を至上命題とするなら、途端に通用する概念に変貌するだろう。

私は江原の説や、その他のスピリチュアリズムの教えを細かく検討して教条的に物事を判断するのではない。

ざっくりと進歩と心の問題を柔軟に考えていけば良いのだ。

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