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伊藤貫セミナー⑧ー哲学(後編)

現象の中に普遍的道徳規範はない。実在の中にこそある。

例えば黒川敦彦氏が東京15区補欠選挙で、普遍的な社会改善を訴えた時、その現象面で悪に見えるということで「そんなことをして何の得があるのか」と主張した者がいた。

この場合の現象面とは、「他の候補者の演説を邪魔していて、有権者にその候補者の主張が聞こえない」「黒川氏にとって、社会的地位を貶める行為で利にならない」ということである。

この現象面での「悪に見える」ということは、目先の損益に捉われた目線で、何の本質的意義もない。

真の本質的意義は、「乙武が奥さんにモラハラしていて、そんな人格が権力を握って良いはずがない」という普遍的正義、「カイロ大学卒業を捏造している嘘つきの小池を都知事にしてはならない」という普遍的正義、「飯山は拝米保守でディープステート(だからダメ)」という普遍的正義、「民主党は消費税を上げる(だからダメ)」という普遍的正義なのであり、

その普遍的正義の問いに対して、該当の候補者が答えずに逃げている普遍的悪がある中、現象の損益に捉われて実在の善悪に対して盲目であるということが、「何の得があるのか」という発言に帰結したのである。

こういう風にして、実在の普遍的道徳性を見据えず、現象の損益だけを見るということでは、社会改善が一切できない。

それで現代の欧米人、日本人(西側の人々)は、普遍的道徳性と目先の損益の区別、判断力が著しく欠損した。そういったのが残っている度合いは、BRICSなどの信心深い人々とかの方が上である。

天皇制のくだりで、伊藤貫氏が天皇を神ではない、アメリカにずっと占領していてほしいと発言した、愛子さまが次期天皇で良いなどと言った時、ライブ配信の横に批判コメがあふれたが、これは伊藤貫氏がチャンネル桜の中で出て来た人で、彼のYoutubeもこのセミナー以外ほとんどチャンネル桜のものだからである。

というのも、チャンネル桜は右翼の愛国主義なのであり、社長の水島聡氏がずっと天皇崇拝、国体云々かんぬん、女系天皇反対などと言ってきたのである。本人は右翼ではなく自然な中道のつもりである。

しかし、神話を信じていたり日本人の精神性が世界に優越しているなどと、絵空事としか思えないような説が中枢にあるわけだから、とてもフラットとは思えない。そんな大日本帝国教みたいなのに洗脳された信者がリスナーの多くを占めているわけである。

今回は、私がこれまで述べてきたことの重複が多いので、書くことがあまりない。それで締めたいのであるが、読者的に納得できない点が気になるので付言しておこう。

「選挙妨害が普遍的悪ではなく、現象としての損でしかないのはどういうことか。有権者にとって候補者の主張が分からないのは普遍的悪ではないのか」

普遍的善悪と目先の損得の区別、判断が出来ない人は、しばしばこういうような疑問を持つだろう。

まず真の社会的悪は、「乙武が不倫を許してもらった奥さんにモラハラをして反省していない、そいういう精神性で国会議員という権力を握ること」である。それは換言すれば、人格的欠陥による加害が、個人的範囲から公的範囲に広がる、という問題なのである。

それで、選挙演説する乙武氏は、黒川氏にその説明を求められたら、逃げるのではなく聴衆の面前で正面から反論を答えなければならず、そうせずに何も言わず逃げたならば、その問題について肯定した、認めた、ということにしかならないのである。

認めたならば、乙武氏が美辞麗句を並べ立てた演説は有権者を騙してその場を乗り切ろうとするもので、実際に権力を握ったらモラハラでお山の大将になって周囲を傷害する、豊田真由子的なヤツになる、ということである。建設的な政治活動なんか期待出来ない、ということである。

つまり、乙武氏の選挙演説は黒川氏の質問に答えない段階では、演説そのものが悪なのである。

選挙は、各候補の演説を聞いて、有権者が賛同する候補者に投票するシステムになっているが、その演説自体が有権者を騙すものだった場合、それを邪魔する行為は本質的に善である。

演説が有権者を騙すものかどうかを、黒川氏がその場で検証している、それが質問に行くという行為なのである。

その辺の真実が全然分からない愚民が、表象だけ見て、「聞く権利を邪魔された、選挙妨害でフェアじゃない」と言っているのである。「嘘かどうかはこっちで判断する、黒川は邪魔」というのである。

その判断は、黒川氏と乙武氏の一連のやり取りを全部見たうえで「こっちで判断」すればいい。お互いの議論を邪魔せずにじっと見て、両者の主張をよく聞いたうえで「こっちで判断」するものだ。

フェアじゃないのは乙武氏の演説だけ聞いて、討論しようとする別の候補者を排除することの方だ。つまりその聴衆は討論を排除して、乙武氏の話だけ聞いて「こっちで判断」しようとしている。その方がフェアじゃない。

質問しに行った行為が、結果的に選挙妨害で有権者の聞く権利を侵害したような形になったが、それは質問に答えない側の本質的な問題であり、本質的には黒川氏の問題ではない。

で、街頭演説は討論の場ではない、一方的に演説するだけの場である、とするが、討論の場が少なく時間がほとんどなかった。一方的に演説するだけと、討論が良くなされた場合とでは、どちらが投票するための材料が多いだろうか?
候補者同士がよく討論する方が良い。それが、一方的に演説するだけの方に、わざわざ有権者自身が仕向けているのである。

真の悪は口先の政治で実がないこと、モラハラで関係者を傷害することであり、電話ボックスに上ってその政治家を止めようとすることではない。

本質的な善悪を見据えずに、表面的な利害だけを見て、何の違法性もない黒川氏をいつまでも逮捕拘留しているなどしたら、社会の改善など見込めない。

愚民に真善美なんか分からない。

愚民にはプラグマティズムしか分からない。

愚民に賢くものを判断しようとする態度がない。

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