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『喜びから人生を生きる』(アニータ・ムアジャーニ著)

著者はインド人の両親の元に生まれたヒンズー教文化の人であるが、香港で暮らしていてイギリス人のスクールにも通い、ヒンズー教とキリスト教の板挟みにあい混乱する幼少期を過ごす。

イギリス人のスクールではイジメを受けるが、インド人の学校では人気者だった。

両親はインド社会に戻らせようとしてインド人と見合いをさせようとするが、本人は欧米流のビジネスウーマンになりたいとして拒否した。

そのうち、自分と似た境遇のインド人男性と知り合い結婚。カーストなどの因習に縛られない自由な立場となった。

とはいえ、インド哲学とキリスト教、既存のスピリチュアル、漢方などから受ける社会通念による思い込みの世界で生きる凡人だった。

2006年に癌を患い、絶体絶命の状態に陥る。

死の縁にある時、著者は臨死体験をする。自分の、死にかけて医療スタッフや関係者に囲まれた姿を見た。5感は働いていなかったが、あらゆるものを鋭く感じ取ることができるようになった。完全に異なる知覚が目覚めた。自分を取り囲む人々の感情が見通せるようになった。大きな解放感と自由の感覚があった。

壮大な計画と、全ての完璧さ、計画通りに世界は進んでいることを理解する。意識の拡大が起こり、ワンネスと一体化する至福感を味わう。それは無条件の愛、と現世の言葉で言い表すには足りない何かだった。

そして、他界した関係者と再会を果たす。

過去、現在、未来が同時に起こっており、宇宙の摂理が完璧であると悟る。

死が喜びに満ちたことだと知り、癌も怖くなくなった。

この世に戻ると末期的状態だった癌が2週間で消滅した。医者は奇跡だとして、科学的に説明がつかなかった。また、臨死状態の時の、関係者の動きをすべて知っていたことで、関係者を驚かせた。

著者は言う、自分の癌に対する恐れが癌を引き起こした。それがなくなったから病気もなくなった、と。それは以前述べたエベン・アレグザンダーの主張である、量子物理学の実験では意識が物理現象に関与しているということと関係があるのだろう。

ありのままの自分でいること

意識は神(無限の自己)とつながっており、全ての存在がつながっている。自分の自然な本性は、無限の自己から来るものであり、それを受け入れて生活することにより、今ここの人生が天国になる。自分の内なる声を信じる。

犯罪は自分に対する愛の欠如、不遇によって引き起こされる。もっとも、それも宇宙の摂理によっている。犯罪者は死後に裁かれない。犯罪者も被害者である。自分のすばらしさをまったく感じられなかった。死後の世界では審判が起こるのではなく、誰よりもたくさんの思いやりを与えられる。

人は自分のすばらしさを知るために生まれるが、社会がそれをむしばんでいる。それも宇宙の摂理による試練であるが、それをはねのけて自分の内なる自己に従えば良い。

著者の人生の目的は意識の拡大である(タペストリーと表現している。173ページ)。

現実世界は表現の遊び場である。来世のために学んだり経験を積むためにここにいるのではなく、目的を持つ必要性もない。というよりむしろ、この物質世界とそこで生きている自分の生命を体験し、それらを進化させるためにここにいる(218ページ)。これは自分が霊性進化するという話ではない。現世のものを進化させ、自分の肉体であるところの人間という動物を進化させるという話である。

恐れは社会の因習などの諸経験が引き起こすもので、それが悪を生む。そういった偏見や固定観念を捨てて心の声に耳を傾ける。

ネガティブでも良い。引き寄せの法則は嘘(237ページ)。

誰もが素晴らしい存在であり、階層もない。波動が高い人は自分のすばらしさをはっきり表現している人である(269ページ~270ページ)。

贖罪やカルマはない(113ページ)。

神秘主義だが近代スピリチュアリズムとは大きく違う

まず、これは近代スピリチュアリズムに似て非なるものである。経験した世界は時間がない、万物は神のもとに一つ、自らが神の一部、世界は完璧、幸福感など共通の世界を持っている。

しかし、霊性進化の哲学がない。むしろ、人は生まれながらにして完璧なのであり、神そのものなのであり、要点は存在の在り方(意識の持ち方)なのである。カルマも階層も否定された。

この世の未熟な部分を進化させるボランティアとして派遣されているということなのである。

霊性進化と考えられることもなくはない。意識の拡大の部分である。しかし、元々完璧なものが、より劣った何かに関する見識を広げる程度の経験でしか、それはないような感じなのである。

前回のエベン・アレグザンダーの話も合わせると、要はこの地球には悪と呼ぶべき未熟な部分が集まっているのであるが、それを改善して浄化させる役割を担っているのが意識の本質=魂なのである。

脳はその神からの意識を現世に届かせる、仲介するマシンであるにすぎない。

地球の悪は、それを邪魔して脳を社会の因習とかで捻じ曲げようとする。アニータの言わんとするところはつまるところ、脳をスルーして神を感じろということなのである。

私は著者の臨死体験は有用だと思う。なぜなら、ありのままの自分を愛するという自己肯定感の向上は、臨床心理学における人格障害の治療などと一致しているからである。

エベン・アレグザンダーとアニータ・ムアジャーニの違い

      カルマ 階層 霊性進化 死後の裁き

エベン   ×    〇   〇   ×

アニータ  ×    ×   △   ×

カルマはどっちもない。階層はエベンにはあり、アニータにはない。霊性進化はエベンにはあるがアニータは微妙である。アニータが微妙なのは、自分の本質が完璧な神そのものと言っても、意識の拡大はあるわけだし、地球の存在を進化させることは全体の進化に寄与することなのであり、結局すべてはつながっているから自分も霊性進化することになるのではないか、という考えがどうしても払しょくできないからである。死後の裁きはない。ただしエベンの方は意識レベルに応じて階層に分かれる。

このように、共通点は多いものの、細かく違いもあり、近代スピリチュアリズムをも含めて、結局どう生きて行ったら良いのかは、各人の考えに任されているような気がする。

しかし、神的存在から来る高次のインスピレーションを本当の自己と捉えるなら、自らの自然に身を任せることはどの発信者にも共通の概念ではなかろうか。

アニータの生活指針は、次の本でもっと詳しく述べられている。


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