みんな幸せになりたいんだなぁ まこと

電車に揺られて、正面に勉強している学生。左に競馬新聞を読むサラリーマン、右にインスタの恋愛コラムを読みつづけるOLさんに囲まれて、みんな幸せになりたいんだなぁ、と思った。

幸せになる方法は人それぞれで、
自己実現を達成することだったり、
美味しいもの食べることだったり、
大切な人と時間を過ごすことだったり、
お金を稼いだり、
趣味に興じたり色々だと思う。

実はいままで、幾度となく役者やモデルを辞めようと思ったことがある。
何度も「もう辞めよう」の思考を繰り返しても結局は「続けよう」と戻ってくる。
表現活動からどうしても離れられないのは何故だろうと考えた時、結局行き着く答えはいつも同じ。

「幸せになりたいから」である。

正直、幸せになるにはこれ以外の方法だっていくらでもあると思う。
たとえば大好きな人と毎朝毎晩一緒にご飯が食べられたら、それはかけがえのない幸せだと思う。
毎日かわいいわんこと散歩に行って、もふもふとゆったり暮らす生活も素敵だ。
大好きな人たちと旅行に行きたい。
その夜はみんなで限界まで飲み明かす。
お酒弱いけど。
それも全部、幸せだ。

でもなぜ「自分が表に出る表現者として生きる」方法でなければならないのか。

表現を好きになった始まりは絵だった。
幼稚園のころ絵が上手だと褒められて、
小学生のころ、何度も絵が入選して、表彰されたりどこかに展示されたりした。
大人の求める型通りの優等生タイプで、何かしらの班長だのなんだのをやることが多く、そこに対して責任感はあったものの本当の意味での自己主張は不得意だった私にとって、絵を描くことや文章を書くことは包み隠さず自己を表出する方法だったといえる。

今の私にとって、その自己を表出する方法は文章を書くことだったり、お芝居だったり写真に映ることだったりする。
これらでなければ幸せになれないと心の底から信じている。
…いや、信じようとしている。

お芝居では演じる役の人物が物語の世界の中で生きている状況を通して、自分の感情や衝動をフルに使い演技をする。
それをどう出すか、どれくらい出すかというのはテクニカルな部分であるが、無い感情は表現できないから、ある意味そこに嘘はない。演技は虚構だけど、その中でも自己の芯、もとい真がなければ、いいお芝居は生まれない。
虚構を真実として心から信じて真実に心を動かしてお芝居ができたときは、自分の包み隠さない心の一部が作品の一部になれる。
それが良い効果を生み出せたときはとても嬉しい。
写真に映ることでは、
私自身も写真が好きなこともあって、写真が好きな人たちの作品作りに関われることや、撮影の時間を楽しいと思ってもらえたら嬉しいということもあるけど、
選んだ衣装や、その場で考え出した表情や顔の向き、ポージングでカメラマンさんの撮りたいものに応えられて、「撮りたかったものが撮れた」「良いものが撮れた」と言っていただけたとき、このうえない喜びを感じる。

被写体に選んでいただけることからとても嬉しくて、頑張るぞという気になるけど、コミュニケーションをとりながら、光を感じ、レンズとの距離や音を感じ、一緒に写真に向き合う時間が本当に好きだ。
モデルを始めてから自信がついたからか、明るくなったとよく言われる。

舞台。映像。写真。
他の誰でもなく、キャストに私を選んでくださるのだから期待に絶対応えたい。
想いを共有させていただけて、
表現者としてなにかに関わることは、
つまり他の誰でもなく花盛まことにそこに在ることを認めていただき、必要としてもらうということだから。

最大限に人を楽しませたい。
限界までいい作品を生み出したい。

表現者になろうとし出してまだ数年だけど、この大事な数年を投げ打ってきたんだから、「これじゃなくてもいいじゃん」というのは執念が許さない。
私はまだ、求める形で幸せになるにはまだ少し遠そう。遥か遠くて同時にあと少しだ。

みなさんはどうだろう。
たとえば作りたいと思う作品作りに力を入れて取り組むとか、仕事に邁進するとか、大好きなパートナーや家族がいるとか。
色々だとは思うけど、その先に幸せで楽しいビジョンがあるんじゃないかと思う。

あなたが何か取り組んでいること…
私の周りには写真をやる人が多いけど、
もしかしたらスポーツだったりビジネスだったり、生活の中で頑張っていることがあるならきっと自分の思う幸せにつながっているからやっているんじゃないだろうか。

それが幸せに繋がらないと思った時があったとしても、それはそれだ。
違う幸せになる方法を探すだけ。

電車に揺られながら、
みんな幸せになりたくて生きてるんだなぁ
そう思った。それだけの話。

表現者としてだれかの幸せにすこしでもクロスできたらいいな。と思う。
結局それが今私が欲しい幸せかも知れない。
舞台や映画で誰かを楽しませるとか、
ポートレートを通して、私をモデルとして選んでくれる人たちの撮りたいやってみたいを叶えて、それを観た誰かを感動させて、沼に引き摺り込むとか、
あるいは言葉でだれかの傷をそっと撫でるとか。

たとえば今度の舞台、
観に来たあなたは楽しくて幸せになるし、私も今よりもっと幸せになる!…かもしれない


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