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続・モデルを目指そうとしたらあやうくK-POPアイドルあるいは那須川天心になりかけたときの話


こちらの続きです↓↓↓

アレ、今度は宣材じゃなくて、赤い茎に白いちんちくりんの奇妙な花の写真?
とか思ったかもしれないが、とりあえず読んでみてほしい。

役者は趣味にして就活に踏みきったものの就活に失敗。「この世界のどこにも居場所がない!」と本気で思い込み目の前が真っ暗だった大学4年の夏。
山中夏歩さんが新しく始めるという
ポートレートサークルfemtoという光明。
…が、そこにも書類で落ちかけて、
居場所を獲得すべく2週間で5キロを目標とした減量。
お手本はK-POPアイドルと那須川天心。
そうしてやっと受けさせてもらえた面談、決まったfemtoでのポートレートモデルデビュー。

応募してから面談、femto専属決定までの2.3週間のことを前回のノートには書いたが今回はその続きである。

とりあえずfemto専属は決まったものの
デビュー前からかなり苦戦しつつ始まったモデル活動だったから、最初は不安で仕方がなかった。

撮ってくれる人はいるんだろうか?
場にそぐわないデブスがいるとか掲示板で叩かれやしないだろうか?
一年後には個展をするというけど、出してくれる人などいるのだろうかと始まってもいないことを憂いてばかりいて、最初の頃は毎日エゴサをしていた。

実は結構な根暗なのである。

が、杞憂であった。
最初の撮影会は満員御礼、10分撮影にもたくさんのカメラマンさんがいらしていて多くの方に撮っていただけた。
もちろん波はあって、私は今femto専属だから撮ってくれている人たちがいるんであって、本当はこの界隈で私は需要がないんじゃないかと悩んだりしたこともある。
最初の頃にfemtoを運営するmunimu の代表、
私がここに応募したきっかけでもある山中さんに泣きながら相談して「めっちゃネガティブじゃんまことちゃんらしくないね」と笑われたのには元気をもらった。深夜までいろいろと話を聞いてもらったり、アドバイスをいただいたりして本当に助けていただいた。

もちろんその後も悩みもあったけど、活動するうちにポートレートモデルをしていてなにが一番好きな瞬間かを理解した。
撮影してくれた人が「その日撮りたかった画が撮れた」とか「いつもの自分とは違うような写真が撮れた」と喜んでくれたり、「撮影の時間が楽しかった」と笑顔になってくれたときだ。
とても嬉しくて幸せで、世界に居場所があるように感じた。

役者としてもそうだったのを思い出した。
舞台に来て楽しかった、よかったと言ってもらえたり、キャスティングをする人に出演者として選んでもらえた時、
「あなたはここに必要とされてるよ」と言ってもらえている気がして、
世界に居場所を見つけられた気がして嬉しかった。
だからそこに、表現の世界に居たいと願っていたのだ。

撮影会の運営スタッフの方々、専属として1年共に駆け抜けた2人、先輩モデルの方々、いつも撮ってくださるカメラマンさん達…悩みを相談できる人たちもこの界隈での一年でずいぶん増えた。

個展には11名のカメラマンさんが作品を出展してくれた。あの1週間は本当に幸せだった。

"femto"
という言葉は1兆分の1、という意味らしい。
どんな意味でポートレートサークルにfemtoという名前をつけたのか、私は知らないけど。

私は世界の70億分の1、日本1億分の1に過ぎない。
もっと綺麗で可愛くて、表現力や演技力に長けた私と同年代の女の子なんて日本だけでも、そのなかからの関東だけでも数えきれないほどいるだろう。
そんな中で、私を見つけてくれてありがとう。
花盛まこととして、表現者として生かしてくれてありがとうと、これを読んでくださっている皆さまに伝えたい。

花盛まことは芸名だけど、就活で嘘とごまかしで固めていたころよりもよっぽど素のわたしで、ずっと幸せだ。

私は役者として、今フリーだ。
事務所に入ろうとすると多くの場合ポートレートの被写体は辞めるよう促される。

事務所の管理の外にある写真が不特定多数の多くの人の手元にあることにより、事務所が関与できないところで意図せぬタイミングで意図せぬ発信がされて、事務所が意図するブランディングやタレント活動に不都合なことになりかねないなどの懸念が事務所側にはある。
そういうわけで個撮系の撮影会に出演したりリク撮を受けるポートレートモデルであることは事務所にとっては都合がよくない、という説明をされたことがある。

理屈は頭では理解できるが、
受け入れたくはない。

ここは私に広い世界の中から居場所をくれた場所なのだ。
このポートレートの界隈の皆さんが生かしてくれたモデル・花盛まことをなかったことにするくらいならフリーのままでいい。
(もちろん、条件の合うところを見つけたら入るかもしれないけどね!)

そのくらいポートレートモデルである自分に誇りを持っているし、これからも堂々と花盛まことは世界にあり続けたいと思う。

そう決めたら、なぜかずっと憧れでしかなかった自然と映像の仕事も掴めるようになってきた。
強い想いや情熱を持った団体さんとの出会いも、ここ数ヶ月だけでも複数あった。
もっと大きなところへ「花盛まこと」のまま行くことを私は不可能だとは思わない。
物知り顔の(実際たぶん私よりは物知りの)どっかの事務所関係者などは渋い顔をするけれど、知ったことか。と思う。

花の色は移りにけりな。

全ては移ろいゆく。
それは自分の意思ではないかもしれないが、どこにだってそれに見合う華はある。
そこに貴賤も上下もない。

赤いダリアは咲かせられなかったけど、
今年初めてクラッスラの花が咲いた。
このノートの一番上のあの写真の花だ。

別角度からのショット。
手前に伸びているのと、画面右側奥に伸びている
鋭い形の赤い葉が花を咲かせたクラッスラ「紅葉祭」
左の丸っこいのはセダム「虹の玉」という別品種

多肉は他の植物より花を咲かせるのがやや難しい。クラッスラも育て始めて3年目くらいで初めて花を見ることができた。
この花を見ることができたのは、私が忙しい時に水をやってくれたり暑い日は日陰に移動させて夏の陽射しから守ってくれた母のおかげでもある。

以前育てていたが花を咲かせられなかったダリアや、バラやユリのように大きく目立つ花ではないが、真っ赤な葉に白い小さな花がつく様子が可愛らしい。

多肉植物は冬になると紅葉するが、今年の多肉植物の紅葉はいままで多肉植物を育ててきたどの年より綺麗だ。母と一緒にニコニコ眺めている。
ダリアもクラッスラも、どちらも咲かせられる年がきっと来る。

私はポートレートモデルとして生きるために女優を諦めることも、女優になるためにポートレートモデルを辞めることもしたくない。
それは一つの選択で、より現実的だとされているから多くの人がそうしていつかはどちらかを選ぶけど、写真に映ることで表現者として延命することができて、女優としても活動が続けられるようになったから。

モデル・女優 花盛まこと として、
世界に在ることを諦めない。
それが当座の目標であり、夢であり、
花盛まことの意地だ。


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