占い界隈に秘伝は要らない
今回は占い屋をしばらくやってみて思ったことを素直に書き記す。
占術の秘伝だなんだと包み隠したって、勉強ができる人間がきちんと勉強して考察すれば皆が必ず通る道である事がほとんどだ。
くだらんプライドで隠しても、そのハリボテの高い壁の中で澱んだ感情だけが渦巻いて停滞しかしない。
先日から開始したマガジンはそういう想いも起因となっている。
特に東洋占術は取っ付き難いと思われがちなのに、輪をかけて新しい裾野を潰してどうするつもりなのだろうか?
師弟制にして伝承しているから大丈夫、と?
では、そこから外れた、独学で学びたい人や対人恐怖症で人に教えを乞えない優秀な人材は能力があっても学びの機会すら得られないのか?
それでいて、同じ口で占い師の地位向上だの、認知度を上げたいだの、もっと裾野が拡がって欲しいだのと曰うのだから、実に馬鹿げている。
全員が同じスタート地点で同じ車を使って下道を走ってたら、多少急いだりテクニックや道順の違いが出ても大半の人は終着点がほぼ同じになることに気づかないのだろうか。
ならば先人が高速道路を作って、その道を後進が一足飛びに進んだ先で更なる研鑽を積んでくれた方が合理的じゃないか。
そして後進の研鑽から導き出される新たな見解を先達が学び、先達が学んだ中でも別の見解が出てくれば物事は循環して澱みも解消するのではないだろう。
こういうことを言うと、占いの秘伝が飯の種だから明かすなとか、秘伝はみだりに表に出すものではないなどと言い出す人もいるだろう。
それはいつの時代の話なのか。
そんなものは占いの技術以外のことも向上させれば良いだけの話である。
占術に関して秘匿性の高い情報を握っていることに胡座をかく人間の言いそうなことだ。
金を積んででも知りたい人間はいるのだから、売ってしまえばいいのだ。
そして、秘伝を売り払った自分は更なる経験と知識を増やしながら高みを目指せば良い。
同じ技術職である美容師や着付け師をしていた私に言わせれば、同じように技術を学んで研鑽を積んだとしても、仕上がりは違うから秘伝が知られようが構わないと思う。
それどころか、後輩に乞われれば自分の持っている技術は惜しみなく伝えるし、後輩からの改善意見が納得できるものならば遠慮無く取り入れる。
しかも無料で。
技術職の中では、同じ型枠内でも自分の個性を出してスタイルを確立するまで試行錯誤するのも、後進の育成に力を入れるのも常識だ。
それが他の技術職や営業と占い界隈の違いである。
現に秘伝まで学んだ後、それを独自に進化させて新しい占いを構築し、人に教え伝える人間もいるのだから、これができない訳がない。
ただし、神事や仏事、まじないごとの行法や作法などに関しては秘伝口伝で師弟関係は必要かつ大事だとも思う。
神仏にお仕えするのだから、一般人がみだりに手を出せる領分ではない。
不用意に漏れて生兵法を行う愚か者もいるから、こちらは秘匿して師弟できちんと向き合って、その意味や心構えなどを伝え学ばねばならないと思う。
しかし、占い師は神仏に奉職する訳ではない。
あくまでも技術職、技能職である。
古代中国や平安、戦国時代ならば、国家機密が含まれる内容だったため占術の秘伝があるのも頷けるが、現代社会においてはその必要性も感じない。
ゆえに秘伝とする必要もない。
秘伝秘伝とことさらに強調するのは「これはマジックのタネだから、あなたはお客さんとしてマジックだけ楽しんでくださいね」と言っているようなものだ。
正直に飯の種であると明言された方がスッキリするし、そんなだから後進なんて育たないのだと思う。
もっと言えば、怪しさだけは増していくので占い界隈のイメージが悪くなるのだ。
そういう経緯もあってはじめたマガジンだから、私見が存分に含まれた内容になっている。
私が占術に対する見解を得るまでにかけてきた時間、費用、経験、労力などをマルっと無視して無料で譲り渡すのは流石に嫌だ。
このマガジンは必要な人に知識と考察を得るまでの時間を短縮できる権利を買い取ってもらう形にしている。
内容に対する異論は認めるし、その異論を以してご自身の占いへの向き合い方や立ち位置を考えていただければ幸いに思う。
いただいたサポートは占術の勉強に使用させていただきます。