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警告!この記事を読んではいけない 7アニメ主題歌歌手の質的低下を嘆く 1

<この記事の前提、というか、前置き>                        「映像音楽作曲家への評価例」という、非常に危ない記事を投稿しました。その記事では、ABCDE という5段階評価でを曲家をランク付けしました。生意気な事をしたものですが、本当に、質の低すぎる作曲家、というより、作曲らしいことができない人が作曲家を名乗るなど、という思いでした。

アニメ大好き、映画大好き、幼少時からアニメ音楽、映画音楽を聴いて育った私です。一通り作曲を勉強し、ようやく世間様に対して恥ずかしくない曲が書けるようになりました。ところが現在、世間様の作曲界の様相はどうでしょうか?目を覆うばかり、いや、耳をふさぐばかりの現状だと思います。

制作会社のいろいろな都合もあるのでしょうが、特にアニメ主題歌の曲は、いい曲は、1割ほどしかないと思います。9割ほどは「耳腐る」レベルの、ひっどい曲。これははっきりと断言しますね。一応作曲の専門家なもんで。昔のアニメの主題歌、いい曲が多かったと思います。本当に。

誰の責任か、何が原因か、は特定できないと思います。制作会社? アニメファン? それとも「褒めて伸ばす教育」のせい? それともその全て? ともあれ、未だにアニメ大好き人間なので、アニメたくさん見てますが、ヒドイ主題歌のアニメは、主題歌になると音を消して、絵だけ見てます(笑)

BGM作曲家は、ちゃんとした作曲家が多いとも書きましたが、そういう人がアレンジをしている場合はイントロは聴きますよ、いい音楽ですから。でも歌が始まるところで、リモコンの消音ボタンを押します(笑)。いや、笑いごとぢゃないですね。この記事、一般の人には「読んではいけない」ですが、

信じられないヘタクソな歌を歌っているアニメ主題歌の歌手たちには、是非読ませたくなっちゃいます。アニメ主題歌、9割ほどは曲もヒドイですが、同じく9割ほどは、歌っている歌手がひどすぎます。ヘタクソを通り越して全く歌になっていません。

歌い手がヘタ過ぎて、本当はどんな曲なのか判らない場合もあります。でも私は歌の専門家ではありません。専門は作曲で、ピアノは、まあ一応、人様に聴いていただけているようです。ギターも、まあ一応、人様に聴いていただけているようです。歌は、そりゃあステージで歌うこともありますが、

ソロヴォーカルで長時間歌い続ける、なんてことができるレベルではないと思います。歌についても、専門家ではありませんが、全くの素人ではない、というくらいには、読者の方々に判ってもらおうと思います。読者? あ、「読んではいけない」です。読ませたいのは、ヘタクソな歌手たちにです。

<歌う、とはどんなことなのか>                   そもそも「歌う」とはどんなことなのか、その辺から少しお話したいと思います。「初めに歌ありき」という言葉、というか、説もあります。音楽は、歌から始まったという説です。そもそも音楽とは、人間のどんな行為から始まったのでしょう。有力な説はいくつかあります。

模倣説、表現説、リズム説、信号説など、さまざまありますが、模倣説は、鳥や動物の鳴き声を真似することから歌が始まったする説です。最初の音楽は歌であった、という説です。それと対局を為すのがリズム説でしょうか。リズムをとることから始まったとする説です。太鼓、手拍子、様々ですが。

思えば鳥の鳴き声など、とても音楽的ですよね。あれ、音楽に聞こえませんか?私には、鳥の鳴き声の多くはとても美しい音楽に聞こえます。ウグイスなんか最高ですね。カラスの鳴き声はあんまり好きぢゃないですけど(笑)。ニワトリ!あれもまさしく音楽ですよね(笑)!

ウグイスもニワトリも、とても美しく声を出しますね。聴いていて気持ちが良いです。それに、彼らの鳴き声、近くで聴いたことありますか? 物凄い音量ですよね。彼ら、別に私たち人間に聴かせるためにあんな声出してる訳ではなく、自然の欲求として、自然に出て来ちゃうんですよね。

そう、それが歌なんです。歌って本来、そういうものなんです。自然に出て来ちゃうんです。音の高い低い、つまり音程が付いて。音の大きい小さい、つまり強弱もついて。長さの違う音がいくつも混ざって、つまりひとつひとつの音の長さが違うんです。ああ、全て音楽と同じぢゃないですか!

鳥の鳴き声を真似しようとして、声を出したら、それが歌、つまり音楽になったと。これが模倣説ですが、こうして解説すると、判ってもらいやすいですよね。私がいつも一番驚くのは、あの音量です。鳥って、あんなに小さい生き物なのに、どうしてあんな大音量が出せるんだろうって。

あれはですね、適正化、というか、鳥さんの小さな小さな声帯でも、声帯の周りの骨や筋肉の形が、小さな声帯の振動を、最適配置で大きく増幅しているからなんですね。それを、誰に教わるわけでもなく、鳥さん全員が、自然の欲求、自然の行為として、ああいう美しい声を出しちゃうんですね。

そう、歌とは本来人間の「自然な欲求として、自然の行為として行うもの」なのであって、イヤイヤながらとか、あるいは誰かに強制されてとか、することじゃないんですよね。だから声って「出す」ものじゃなくて、「出て来ちゃう」あるいは「出て来ちゃった」というのが、本来の姿です。

従って歌を勉強するっていうのは、いかに「自然に出て来ちゃう」あるいは「出て来ちゃった」状態を作るか、の勉強なんです。ここで「それでは何も勉強しないのが最も自然なのでは?」という疑問も出てくるでしょう。その通り!それが最も自然。天才と呼ばれる人には、確かにそれができます。

ところがです。天才はごくごく一部の人たちしかいません。天才でない人がこれをやろうとすると、できないんです。鳥さんを思い出しましょう。正確な音程、正確なリズム、正確な音の長さ、最適化された声帯周りの骨や筋肉の動き、これが、歌を歌うに必要な要素です。できないんですよ、これが。

だから「自然な行為として、それができるようになるように」「できるようになるまで」勉強と練習を重ねるんです。そして「歌」には、楽器の修練と違って、恐ろしい、本当に恐ろしい要素が加わるんです。それは何かというと「素質」です。「素質」とは、持って生まれてくるものであって、

勉強や訓練で身に着くものではないんです。ああ、言っちゃった言っちゃった、本当の事! 言う前に聞くべきでしたよね、「本当の事、言ってもいいですか?」って。

今日はここまでにします。次の記事は、この記事の続きになると思います。「アニメ主題歌歌手の質の低下を嘆く 2」です。素質とは何か、という、本当に恐ろしい恐ろしい話から始めます。危険すぎるので、やはり「読んではいけない」です。でも「読ませたい歌手」もいます。ではお楽しみに。


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