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「思い」と「重い(重り)」と「お守り」

同じ事をやり続けて成長する。
とても大事な事だと思う。表面では、わからない深い部分を知る事が出来る。
知識・経験・技術など積み重なっていく。
それと共に増えるのがこだわりや思い出だ。費やす時間が長ければ長いほどにそれは密度を増し、重くなっていく。

「思い」という言葉を変換して「重い」にして対比した物語たりがよく作られる。俺が好きな化物語というアニメにもエピソードとして出てきた。
男女間でも出てくる。相手の気持ちや期待がプレッシャーになって思いが重いなどとマイナスのイメージが先行する。
勿論、プラスになる事もあるだろう。困難という波が来た時にその思いと言う重りがあるから流されず踏ん張れる事もあるだろう。
ただ動こうと思った時には、どうしても足枷になってしまう。一歩が踏み出せなくなってしまう。今まで助けてくれた重りが急に敵になる。

だったら「思い」を「重い」という言葉に変換した様に他の言葉に変換出来ないだろうか。
思いという重りを子供に見立ててみる。
「重り」を「お守り」に変換する。こだわりや思い出を栄養にして、一生懸命手塩にかけて育てる。それにより頑張ったり、踏ん張ったり出来る。これなら重りの時の役割と離れ過ぎずイメージもしやすい。

今、「思い」が強くて一歩踏み出すのが辛くなっている人もいるだろう。
そしたら、「思い」を「お守り」まで変換してみては、どうだろう。
今やっているお守りを手放す時期なのかもしれない。子供って親離れをするんです。大きく育ったこだわりや思い出を一旦離して考えて下さい。親離れさせてから自分の声に耳を傾けて下さい。
そうしたら、留まるにしても一歩踏み出すにしても納得出来るのではないかなと思います。

文章構成能力が拙く、伝わりづらかったらごめんなさいm(_ _;)m

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