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自分なりのペースで、その時にしたいことをする

自分なりのペースで生きる、とか。
その時にしたいことをする、とか。
特権階級の一部の人たちにしか出来ないことだ、
と感じている人も少なくないだろう。

けれども、それは往々にして勘違いだと思う。
むしろ、特権階級の人たちこそ、本人に自覚があるか無自覚かは別にして、
“自分なりのペースで生きる”ことは難しいし、
“その時にしたいことをする”ことも難しいように思われる。
ここで言う「特権階級の人たち」というのは、財閥関係の家柄の人など、
生まれながらにして豊富な金融資本を保持している人たちのことである。

彼らには、彼ら特有の苦しみがある。
実体験したことが無いので実感できるわけではないし、想像の域は出ないが、
資産を狙って寄って来る者への対策、
膨大な財産を保持するためにかかる費用とその管理、
相続において生じやすい兄弟姉妹間での骨肉の争い、
・・・少し考えただけでも、
疑心暗鬼がベースのつらい人生であることは容易に想像できる。
もちろん本人の性格にもよる。
例えばドライに物事を割り切れる人なら、その境遇を謳歌できるかもしれない。
しかし、ごく一般的な人たちに比べれば、むしろ
“自分なりのペースで生きる”ことは難しいだろうし、
“その時にしたいことをする”ことも難しそうだ。
彼らは彼らの生活を維持するために、
一般人には無い日々のタスクや懸案事項に常に縛られているだろうから。

もちろん、雑多な事柄は雇った秘書などに任せているかもしれない。
そうだとしても、その秘書との間には利害関係が既に生じている。
ステークスホルダーが多いことが、
いわゆる「特権階級の人たち」の特徴ではないか、と思っている。

自分なりのペースで生きる、とか。
その時にしたいことをする、とか。
・・・じつは、少しの勇気と思い切りだけで、誰でもできる。
むしろ失うものが少なければ少ないほどハードルは下がっていく。

まったく失うものがない人は滅多に居ないと思う。
それでも、「失う覚悟」ができていれば、一歩、踏み出せる。
日本に住んでいるのなら、極端な暮らしかたをしているのでもない限り、
日常的、根本的に、したいことを制限されている人は滅多に居ないはずだ。
もちろん日頃の人間関係に縛られて、思うように動けない人は多いと思う。

思い切って一歩、踏み出してみると、
人間関係をはじめ、自分の世界の景色が大きく変わっていく。
初めのうちは恐ろしくて心細くてつらいかもしれない。
けれども、時間と共に「思っていたほど大したことではなかった」ということに
やがて気付いていく。
恐れていたことは、自分が勝手に思い描いていた幻影であったことに気付く。

ほんの少しの勇気と「失う覚悟」を己の心に問い、
心が決まった時が、踏み出す時なのだと思う。
その時、初めて自分の人生と思えるような時間が動き始める。
私は、そう感じている。

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