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諦めの悪さ≒粘り強さ

私は決して粘り強いわけではありません。
人一倍、諦めが悪いだけです。
それが結果として、
自分で思う以上の粘り強さを生み出す原動力になっていることは確か
でしょうが、自力で何かを継続できた試しがありません。

流れに身を任せるようになってから、
私の「諦めの悪さ」が私自身を助けてくれるようになりました。
だから、自分の人生像を思い描くことをやめました。
可能性をいくら想像したって、実際にどうなるかわかりません。

今は再婚していますが、元妻と離婚してから数年の間、
「とりあえず生きる」
ことだけで必死でした。
生活力がまるで無く、途方に暮れていました。
恥ずかしながら、
それまでずっと親がかり、妻がかりで生きていました。
自業自得ですが、地に足のついた感覚がわからないまま、
30歳を過ぎてしまいました。

今さら生活力がそう簡単に身に付く訳でもありません。
“苦手を克服”しようとするのは1年くらい前に諦めました。
その代わり、
私が苦手なことで多少のお叱りを受けることも止むを得ない、
と受け容れることができるようになりました。

それでも、私は私の夢を諦めません。

離婚して引っ越して以来、
ずっと個人的にお世話になっているかたが居ます。
そのかたから数か月前に、
「まこっちゃに、ひと言これだけはわかっておいて欲しいんだけど、まこっちゃを応援してくれたり助けてくれる人、何人もいるでしょ?それは、まこっちゃが一所懸命に生きようとしているからだからね」
と言われました。

人間関係は、つくづく不思議です。
私以外の人が一所懸命に生きようとしていない、とは思いません。私の生きる力が圧倒的に歪んでいたり足りなかったりして、
それでも悲鳴を上げて泣きながらもがいていたら、運良く私の自立を前向きかつ真剣に考えてくださる人たちとの御縁に恵まれてきた、
ただ、それだけです。

もし、私だけが、
どこかで誰かが独り苦しみもがいていることに気付いたとします。
その時の私には、もう他に選択の余地はありません。
自分のことすらまともに出来ていないくせに、
私だけが気付いてしまったその人に
手を差し伸べない訳にはいかないんです。
なぜなら、
他ならない私自身が、
そうして頂くことによって今までずっと生きてこられたからです。

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