五月病ライバー
「五月病」ってヤツは、
連休いっぱい寝れて楽しかったし次の平日迎えたくないな〜仕事したくないな〜学校行きたくないな〜虚無〜
……みたいなやつのことだと思ってたんだけど、なんかちょっと違うらしい。
春から新しい環境や人間関係の中で気を張って過ごして、5月頃にその張り詰めた糸が切れて、変化についていけなくなって、体調が悪くなったりやる気が起きなくなったりする症状のことなんだそうだ。
いうて一緒ちゃう?みたいな感じだけど、自分の中の捉え方としてはだいぶ違う。
大学を卒業して社会人になった。
就職した会社にはとても満足していて、先輩も同期も素敵な方ばかりで、楽しい。
一方で、秋頃から始めたライバー業は、その頃にはもう私にとって生活の一部になっていた。
社会人になるから辞めるという選択肢はほぼ無かったようなものだった。
とはいっても、学生のときとおなじように配信を続けていくことは難しく、必然的に少しずつ配信の仕方を変えていくことになる。
配信にあてる時間は少なくなったし、毎日の早起きのために時間帯が早くなった。
それでもライバーとしての活動をなんとか存続し、駆け抜けた4月だった。
考えても仕方のないことを、どうしても考えてしまう。
ライバーに限ったことではなくて、何かを発信しようとする人の周りには常に出会いと別れがつきまとうものだと思う。
誰かが自分を見つけてくれて、私の提供する時間で楽しい気持ちになってくれたら嬉しい。
その人数がどんどん増えて、皆を幸せにできたらもっと嬉しい。
それを分かりやすく感じられるものとして、数字があったり、ランクがあったりする。
一方で、応援する、推すという気持ちは脆くて不安定だ。
多くの人がコンテンツを大量消費していて、当たり前のようにどんどん飽きていく。
ライバーとしての私もそのコンテンツの一部に過ぎず、例外なく飽きられていく。
昨日まで来てくれていた人も今日また来てくれるとは限らない。一生単推し🥺とか言うててもある日突然いなくなる。そういうもの。
ライバーとして活動し始めてから常にその事実を肌で感じつつ、それを仕方のないこととして、また新しい人と出会って別れてを繰り返してきた。
だって、そういうもんだから。考えても仕方のないことだから。
どんな事柄に対しても、なくなったものよりも今あるものに目を向けるべきだ。
でも、やっぱり、どうしたって、大好きな人達が離れていくのは悲しい。
自分の環境の変化で配信時間が変わって、枠の人数が減ること。応援しづらくなること。機会損失を繰り返して関心がなくなっていくこと。
悲しい。そりゃもう、バチボコに悲しい。
リス活(リスナー活動)は自由。自身が応援したい人を応援するべきだし、投げたい人に投げるべき。束縛もしたくない。
心からそう思うのに、当たり前が生み出すチクチクは知らない間に私の中に蓄積していて、気付いたらまあまあ大きな塊になっていたようだった。
その結果、疲れているのに全く寝付く気配がなく、涙がポロポロ出てきて、泣きすぎて頭痛と吐き気がするという地獄に陥っている。そして突然noteを開設し、夜を堪えている。
あなたがたの「何が」でいられなかったことが悲しい。悔しい。やるせない。
いかないで。捨てないで。欲しがっていて。
心のどこかではずっとこうやって叫んでいたのを、気付かないふりして抑え込んでいた。
文字に起こしたらただの重たい地雷女になってしまったけど、日々失恋してるのと同じやこんなん。
メンヘラとかいう言葉で片付けられるなら、ライバーなんて全員メンヘラ(語弊がすごい)。
そして、これが、私の五月病なんだと思った。
突然来た負の波に潰されそうだったけれど、文章にしたらスッキリした。あと泣き疲れた。悲しいときは素直に悲しむのも必要なんだな。
でもまあこういう気持ちを発信してしまうのってプロ意識に欠ける。自ら離れていく人増やしてるもん。すみません。プロじゃなくて。
こんな散らかった文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。寝ます。また気が向いたらひっそり書く。
ご無沙汰なあなたもいつでも会いに来てね。
もっと素敵な人間になって待ってるからよぉぉぉぉおおおおお
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