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果てしなく自由な世界を生きる人がこの世界には確かに存在する

音楽を聞いていて
時々不思議な感覚がある

自分はどこまでも自由で
優しい光に包まれてるような
何でもできるとさえ錯覚する

その時の気分なのか、
その時の感情によるところなのか

その時だけは自分の限界なんて
遥か遠くへ吹き飛ばしている

そんな世界に常に住んでいる
すごい人が確かに存在している

それはあなたが
テレビで普段見る人かもしれない

電車で横に座った人かもしれない

10年後とかに彗星の如く現れる
今は公園で遊ぶどこかの子供かもしれない

でも私の場合、
そんな自由な感覚を手にして
颯爽と街の喧騒に身を投げ出してみても
その感覚はすぐに萎んで
現実に引き戻されてしまうだろう

他にもある。

同じ曲を聞いて
涙を流す人もいれば
何も感じない人もいる

誰もがそれを感受性と呼ぶ

その感受性という定義を
深く考えてみたけれど

私が考える感受性というものは
単にすぐ泣く。とか、
すぐ感動するという人に宛てる言葉ではない

我々の聞こえない音が聞こえている

そんな人が所謂、感受性というものを
持ち合わせてやしないだろうか

例えば同じ曲を聞いていても
聞こえている音が違う

同じ話を聞いていても
聞こえている言葉が違う

同じ道を歩いていても
聞こえている音や
見えている景色が違う

総じてそういう人たちは、
どこまでも精神的に自由な人だったりする

そういう自由な人が
私が思う感受性というものを
持ち合わせている気がする

その自由な人というものを

あえて一言で現せば

好きな事をして生きている人達のことだ

好きなことをして生きてるというのは
好きなことだけやって生きていい
という逃げではない。

朝も昼も夜も、
好きな事のために努力できる人のことだ

責任だとか、
こうでなければいけないだとか
そんな感情と距離を置いたまま
好きな生き方を選ぶために

死ぬほど努力している人達のことだ

どんな感情が現れても
距離を置いて物事を見て
自分の人生を選択している

自分の人生を愛して
家族を愛して
仲間を愛する

感情に支配されることなく

自分自身の人生の目的を

選ぶことができる人だ

その為に学び
昨日よりも前に進んでいる
そんな自分であろうとする人

そんな自由な人で  私はありたい

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