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猫と生きる、ということ。


朝起きると鼻先にふわりとした感触があり、穏やかな匂いが鼻をくすぐった。


猫が腕の中にいる。


私は手を上げて寝る癖がついていて、よく万歳しながら寝ている。すると、腕と頭の間のところに猫が寄ってきてすっぽりと埋まって寝ているのだ。

ふと目を開けると、にゃーと言って顔の上に乗ってきた。こんなにしあわせな時にこそ、この子が居なくなった時のことが頭をよぎる。こうやって私は自分が悲しまないように守っているのかもしれない。


私はまだ自分の飼っている動物の死を経験したことがない。ずっと前に飼っていたうさぎのうーちゃんは何故か、いつの間にか居なくなっていて、よく脱走するうさぎだったからどこかで生きてるのかな、なんて未だに思っている。もしかしたら、両親はうーちゃんの死んでいるところを見て、私たちが悲しまないようにどこかに埋めたのかもしれないけれど。


だから、生き物との別れが凄く凄く怖い。本当に怖いのだ。


居なくなった時のことを想像するだけで鼻がつんと痛くなって、猫がぼやけてくる。私はこのふわふわした毛や声が永遠のものではないと知っている、知っているんだけれども。死は生きているものが皆平等に訪れるものだと知識では理解しているつもりだった。生き物は死ぬと分かっている、けれど感情がはい分かりました、と納得してくれない。


生き物を飼う重みを知るのは、別れの瞬間だと思う。その時、人は初めて生き物を愛することを知る。猫を飼うということはこの子の命をもって、私たちに愛を教えてくれていることを知ることだ。こんなちぃちゃな体で、この世で一番大事な事を伝えてくれてる。それが尊くて悲しい。


私は毎日神様にお願いする。この子と出来る限り長く居させて欲しい、と。


猫は今日もにゃーと鳴く。私は別れを想像して泣く。わたしの悲しみをよそにして、撫でてと鳴いている猫を抱きながら。大好きだよと呟きながら。




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