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親日と反日というもの

このワードが私はとても嫌いである。だが、日本の人はこの言葉をかなり気安く日常会話の中で使うように感じている。違和感を感じないのかな?と耳にするたび不思議に感じる。

台湾に住んでいたと話すと大概、台湾いいですよねー。親日だし食べ物美味しいし。という類のセリフが10人のうち8人は返ってくる。どうやら台湾と親日は日本の人にとりセットなようである。

そして、娘が韓国に住んでいると話すと、娘さん大丈夫なんですか?韓国は反日だから大変でしょう。と眉をひそめてちょっと深刻めいた表情で話される。そういう類の事を言う日本の人もこれまた多い。韓国と反日はセットのようである。

親日だから、反日だからと、ワードがでるたびにとんでもなく私は嫌悪感を感じてしまう。当然、話している方は悪気などさらさらない。世間話の当たり前の話をしているという感覚なのだ。

あなたの今いった親日というのは、どういう事ですか?何をもって親日と言っていますか? 親日だったら何かよいことあるのですか? とか問い詰めてしまいそうになる感情を抑え、親日とか関係ないでしょ。私、その親日という言葉好きじゃないんです。と、答えてしまう。相手は、え! と思いがけない事をいわれた、みたいな、なんで? と不可解そうな表情に一瞬かわる。 

反日じゃないのに、親日と言ったのに何か悪いの?と思う人もいるかもしれない。

日本に都合いいことしてくれたら親日で、日本の事を批判すると反日、福島県含む5県の食品を台湾が輸入禁止していることについて、親日のくせになんだ。とTwitterに書き込む人がいたり、日本の放射能汚染水についても海水に放出反対と台湾がやっているのを、親日なのになぜ反対するのか。科学的に考えろ!と書いている人たちを多く見た。

結局、親日とは、絶対服従の日本のすることやることに異を唱えない国は、親日と呼んでいる感覚である

アメリカや欧州の国についてはほぼ使わないではないか。植民地支配根性がいつまでも脈々と残っているのだろう。

認識のズレがあるのではないか

そして韓国、まず、韓国の人が言う、反日、親日は、日本の人が言うものとだいぶ違うのだ。

韓国の人が言う反日、親日はそれこそ植民地支配時代、日本帝国主義についてで語る。

日本の人が韓国が反日教育をしている。というが、何を指しているのかわからない。歴史を学ぶと同時に植民地支配された歴史を学ぶわけで数々の日本帝国の蛮行も当然学ぶ。

日本は、戦時中に鬼畜米兵と学校で教えていたが、韓国で、今日本に対してそんな教育はしていない。あたりまえだが、、、。

日本の政府のやり方に対して異を唱えている事も日本の人は自分を責められているように感じるのだろうか、よく傷ついたと言う人がいてびっくりする。

傷ついたという感覚の不思議

これもよく耳にするしそう思うでしょ?という言われ方もするのですが「韓国で日本製品の不買運動で傷ついた」「歴史の話をして日本が昔したことを話され傷ついた」「すごく悲しいし嫌な気分になるでしょ?」といわれたりするのだが、これがわからない。不思議なのだ。まったく私は不買がおこっても傷つかないし歴史の話になっても傷つかない。その不買運動がおこる背景は日本にあるのじゃない? そもそも、私は私で、日本政府の私ではない。日本という国家を背負ってもいない。日本に生まれ日本国籍だけど日本政府がおかしなことをしているのは批判するしそれについて怒る。      なんできちんと対応できないのかなこの政府はとかこの企業のレイシストぶりはとんでもないから日本にいても不買だわ。という感覚なんだけど。

個人と国家が別物でないのかな、意識してないのかもしれないけれど国家に縛られ囚われすぎている人が意外にも、日本の人はものすごく多くいてちょっと驚く。かの戦争がおわっても精神的に変化していないのではないだろうか?愛国心について拒否感を持つ人は随分いなくなったのだろうか? 変な偏ったナショナリズムが昔よりも蔓延している気がしてならない。

自分に都合のよい心地よい事だけ言ってくれ服従してくれるものを親日と呼び、都合悪い事を指摘されたり服従してくれないものを反日と呼ぶ。そんな感覚では、この国に発展も希望もないような気がしてならない。普段何気なく接していたり発する言葉の、親日反日。ちょっと考えたら易々と発せれないと思う。







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