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稽留流産と宣告されて自然排出した記録


2022年3月31日。わたしはこの日を絶対に忘れない。

妊娠12週6日目だったこの日の午後。

レストランでのランチタイムのバイトを終え、いつものように帰宅する途中だった。

むしろ、ちょうど近所の桜が見頃な時期だったので、帰宅する前に花見しようとわざわざシートを持参し寄り道計画までたてていた。それくらい、お腹の赤ちゃんが順調だと信じ、平和で幸せに満ち溢れていた。

本当に突然の出来事だった。

バイト先の最寄り駅で、違和感をおぼえる。

股から何かが出ている気持ち悪さを感じた。

トイレに駆け込み、青ざめる。

うっすらとだが、出血しているのだ。

しかし、出血は初めてだったが、ネットで色々調べると妊娠中の出血は珍しくないと書いてある。

(うーん、きっと大丈夫だろうけど、やっぱり心配だよなぁ)

そう思い帰宅と同時にかかりつけの産婦人科に電話した。

電話ごしに看護師と名乗る方から色々状況を聞かれた。

「出血はいつからですか?」

「一時間前くらいからです」

「痛みはありますか?」

「痛みは全くありません」

「痛みがないので多分大丈夫だと思いますが、念のためこれから病院に来れますか?」

「・・・これからですか?」

大変ありがたい事だったのに、この時すでに、どんなに急いで用意しても診療時間外になるので(たいした事なさそうなのに申し訳ないな〜)と、まだ大ごとになるとは思っていなかった。

出血自体もたいした事なく、明日の朝に予約できればいいと思っていたのに・・・。

「すみません、よろしくお願いします」

そう返事しながら、なんとなくこの時胸騒ぎをおぼえた。

病院まで行く途中、わたしが妊娠している事を知っている数少ない親友に電話した。

「いきなり出血してんけど大丈夫かな?」

この時、わたしは不安で泣きながら病院までの坂道をのぼっていた。

「ああ、うちも妊娠中、時々出血してたで。わりと多いみたいやで。大丈夫ちゃうかな」

親友の言葉に一旦落ち着くわたし。

病院に到着して、診察に入った時もわりと落ち着いていたと思う。

しかし、その後、エコーでお腹の赤ちゃんをみていただき赤ちゃんの心拍が確認できなかったため「稽留流産」と告げられた。

世界が一変した。

稽留流産と宣告された翌日に書いたnoteはこちらからお読みいただけます。


赤ちゃんのサイズからすると12週前で心拍が止まってるとの事で、染色体の異常による流産の可能性が大きいとの事。だから「お母さんはどうか自分を責めないで」と優しい言葉を先生にかけていただいた。

そして、赤ちゃんがある程度大きく成長していたため、突然排出するリスクを考えると手術がいいのでは、と先生に言われた。

その場ではすぐに決められず、家に帰って考えさせていただく事にした。

病院でも声を出して泣いて、帰り道でも電車の中でも涙が止まらなかった。

信じられなかった。

翌日の4月1日、朝を迎えて(夢じゃなかったんだ)と絶望した。

そのままいつも通りバイトに向かう前、カバンにつけていたマタニティマークを泣きながらはずした。

(お腹にまだ赤ちゃんいるのになぁ・・・)

マタニティマーク、つけていた時もいつもカバンの内側に隠していた。それどころか、たまたま体調がよかった時などは普通席で子連れのお母さんに席を譲った事も何度かあった。

そんなふうに、いつも隠していたマタニティマーク。

それでもマタニティマークは、もし自分が貧血などで倒れた時などの緊急時、妊娠している事が分かるようにとつけていた。

いつも隠していたマタニティマークを堂々とぶらさげて電車に乗ったのが3月31日、出血してその後「稽留流産」と宣告される産婦人科へ向かうあの日。

すでにお腹の赤ちゃんの心拍が止まっていた時だった。

2022年4月1日。

稽留流産と宣告された翌日。

前日まで少量だった出血がどんどんと多くなって、体調もあまりよくない。

朝、夫さんのサトル君から仕事中にも関わらず電話があった。

ワンオペでラーメン屋で働くサトル君だが、朝の開店準備中、赤ちゃんの事を考えてずっと涙が止まらないと言う。

「わたしもずっとずっと泣いてしまう。かなしいね、かなしいね」

ふたりで電話ごしに泣いた。一緒に泣いてくれるサトル君が夫で、赤ちゃんのパパで本当に良かった、と何度も思った。

「まーちゃん、バイト無理しないで休んでね」

サトル君がそう心配してくれたが

「大丈夫だよありがとう」

と返事して涙をぬぐった。

貧血気味だったので、アルバイトを休んでもよかったのかもしれない。しかし、家でひとりでいても気が滅入りそうだった。

バイト中も頭の中は赤ちゃんの事でいっぱいだった。

やっぱりまだ信じられない。

稽留流産は誤診で、たまたま昨日は心拍が確認できなかっただけではないだろうか?ネットで昨夜そんなケースを何度も気が狂ったように検索した。

赤ちゃんはまだ生きてるのでは?

生きてる可能性を信じて生物も避けたし、お酒も飲まなかった。(飲みたくもならなかったが)

赤ちゃんが生きてると信じたい気持ちもあったが、バイト先の階段を上り下りする時などのひとりになる瞬間、我慢していた大量の涙がどっと溢れた。

それでもお客様の前では、泣き腫らした顔で不自然な笑顔を見せ愛想をふりまく。我ながら痛々しかった。

休憩中もずっと泣きながら考える。

稽留流産がもし本当なら、なぜ?

染色体異常で赤ちゃん側の原因だったのだろうか?

10週4日目の妊婦検診では、二度目の心拍数を確認でき、先生にも「順調です」と言っていただいたのに・・・。

やっぱりわたしが、つわりで体調が悪くても無理して働いたせいでは?

お店が最近めちゃくちゃ忙しくて大変だった時も何度かあったな。そのストレス?

週に二回、野菜が運ばれてくる時、気をつけていたのに少し重たい物を数回だけ持ってしまったから?

わたしが悪いんじゃないのか、わたしが・・・・・・・・。

ずっとずっと理由を探して自分を責め続けていた。

さらにその翌日の4月2日。この日はわたしだけ休みで、一日中家でひきこもって泣いていた。

泣いても泣いても止まらない涙。

一日が長い。働いていた方が気が紛れた気もするが、体が動かないのでやっぱり今日は休みで良かった。

夜、サトル君が帰宅しても、ベッドで泥のように寝たままだった。

「ごめんね、寝たままで。夜ご飯、冷蔵庫に入ってあるからチンしてもらっていい?」

わたしがそう言うと

「まーちゃん、写真撮りに行こうか」

優しい笑顔でサトル君がベッドまで言いに来た。

「えっ?今から?何で?」

きょとんとするわたし。

「だって桜もうすぐ散るかもしれないし、それにまーちゃんと撮った写真あんまりないでしょう」

照れくさそうに言うサトル君。きっと今日一日、仕事の休憩中も沢山泣いていたサトル君。

「あっ、お腹にまだ赤ちゃんいるもんね。だからだね」

察するわたし。しかし・・・

「あさってでよくない?あさって休みだし、その時でも・・・」

外は寒そうだし、家から出るのが億劫というのが本音だった。

そして、あさって・・・その日、お腹の中の赤ちゃんと夫さんとわたしでお出かけしようと計画していた。

その後、手術をする方向で考えていたので最後の思い出作りに、と考えていたのである。

「今日がいいの! 今日」

小さな子供みたいに愛嬌たっぷりで言うサトル君。

「・・・分かった。行こうか」

サトル君に押されてこの日初めて家を出た。

夜8時。桜が咲く季節とは思えないくらい冷えた風が吹き抜ける。

「お腹の中にまだ赤ちゃんいるんだね。赤ちゃん、可愛いわたし達の赤ちゃん」

桜を見に行く途中、わたしはお腹を優しくなでながら語りかけた。

稽留流産と宣告される前は毎日のように「赤ちゃん、愛してるよ」「会いたいなぁ」「元気に生まれてきてね」と話しかけていた。

正直、自分の子がこんなにも愛おしいと思わなかった。去年まで、お酒に依存気味で精神状態も不安定だったわたしは、結婚してからも排卵日わざと避妊したりしていた。排卵日以外は避妊具なし、排卵日らへんは避妊具あり・・・それでもし妊娠したら妊娠したできっと嬉しかっただろう。

赤ちゃんは欲しいのに、母親になる自信がこの頃はなかったのだ。

しかし、今年の一月。

排卵日を意識して避妊せずにした。その事がずっと頭にあって(まさかあの一回でできるわけないよなぁ)と思いながらも、生理が遅れる前の時期から禁酒した。生物も一切食べるのをやめた。

(今なら、排卵日に性行為した時点、いやその前から禁酒してろよ自分、と思う・・・。)

節分の日に買った恵方巻きも、生物が入っていたのでサトル君に全部あげて食べてもらったのが印象に残っている。豪華で美味しそうな恵方巻きだったが、そこまで食べたいとも思わなかった。

不思議な事に、お腹の中に赤ちゃんが「絶対」いる気がして、サトル君やメールで姉に「妊娠した気がする」と話していた。

こんな事を言い出したのも思ったのも初めてだった。

あれだけ依存していたお酒は一切飲みたくならないし、確実に体の中で変化がおこっていた。(飲みたくなっても飲まないけど)

赤ちゃんが「ここにいるよ」と力強くママのわたしに教えてくれた気がしてならなかった。

その後、妊娠検査薬で陽性反応が出た瞬間は飛び跳ねるように嬉しかったなぁ。

世界にキラキラした光がさしこんだようだった。

自然妊娠した事も、産婦人科で、胎嚢が確認できた事も、元気な心拍数が二回確認できた事も全部奇跡。

お腹の中に赤ちゃんが来た。それはとってもあたたかくて幸せな時間だった。

妊娠判明後。調子に乗って「子供ふたり欲しいなぁ」とサトル君と幻想を抱いたりもした。

この世に命ひとり生む事も奇跡なのに。

現実は、稽留流産と告げられ、心拍数が止まったお腹の中にいる赤ちゃんと、思い出を残すためサトル君と夜桜を見に写真を撮りにきている。

満開の桜をバックにサトル君とわたしが並んで写真を撮る。この世とは思えないくらい美しく、まるで映画やゲームのワンシーンのよう。そしてとてつもなくせつない気持ちになった。

泡のように消えてしまいそうな儚さを感じた。

2日前、稽留流産と分かるまで毎日明るく光に包まれた世界にいたのに。

この時、赤ちゃんとの別れは、もうすぐそこまで迫っていた・・・。

2022年4月3日。稽留流産と宣告されてから3日後。順調に妊娠していたら13週3日目だった。

妊娠が判明してから、バイトの時間を減らして基本的にランチタイムのみ働いていたが、この日は人手不足でランチタイムとディナータイム両方働いた。

接客業は大好きだったが、稽留流産と宣告されてからの数日間、子連れのお客様を見るのが直視できないくらいつらかった。特に赤ちゃんやベビーカーを見ると涙が溢れそうになった。わたしの赤ちゃんは、お腹の中にいるけど心拍が止まっている・・・、そう思うと、どうしようもない悲しみの波にのまれて、息苦しくなった。

それでも、その感情をおさえこんで、から元気に働く。

夜は、夫のサトル君が仕事の後、わたしのバイト先に来てくれた。

夜22時頃バイトを終えて、一緒にサトル君と帰ろうとする時、突然強烈なお腹の痛みが始まった。

「いてて・・・お腹が痛い」

なにかの勘だが、「始まった」気がした。

稽留流産と宣告されてから、稽留流産で自然排出した方々の経験談をブログなどのSNSでこの数日間ずっと読んでいた。

わたし自身、はじめは手術より自然排出を希望していたからである。

そのため、経験された方々のブログなどを読んで自然排出する数時間前から陣痛に似た痛みが始まる事を知った。(人によって個人差はあるかもしれません)

「サトル君、自然排出始まったかもしれない。今日の夜中に赤ちゃん出てくるかもしれない」

サトル君には念のため、伝えておいた。

冷静にこの現実を受け入れつつあるのに、それでも、心のどこかで赤ちゃんがもしかしたら生きてるかもしれない、とまだ思っている自分もいた。

強烈な腹痛は数分間続いては、またしばらくおさまった。かと思うとまた痛くなる・・・。その繰り返しだ。帰宅後、顔を洗って歯を磨いてすぐ横になる。

出血する量もどんどん大量になっていく。

気がつくとわたしは疲れからか寝ていたが、夜中またお腹が痛みだし目が覚める。

先ほどよりももっと強い痛みだ。

夜中の1時頃だっただろうか。横ではサトル君が疲れた顔をして寝ている。

なるべく起こしたくない。しかし・・・

「痛いよ! 痛いよ〜!」

あまりの激痛に小声だが騒いでしまう。

心細い。こわくて仕方ない。

また、しばらくして腹痛がおさまると、わたしは自然排出した方々のブログを読み返した。

真夜中、孤独でかなしくて仕方ない自然排出が今始まろうとしている中、わたしだけじゃないんだと、どれだけ心強く励まされたか。

そんな感謝もあり、わたしもこうやって記録に残す事を決めた。

※この先ずっと読み進めていくうちに、自然排出に関して生々しい表現があるので、苦手な方はご注意下さい。

お腹の痛みは、今まで経験した中で一番痛かった。生理痛の何十倍、と表現している方がいたが、まさにそんな感じだ。しかし、その痛みはずっと続くわけではなく、数分でおさまるのが救いだった。痛くなってはおさまり、また痛くなっておさまる、の繰り返し。

その痛みが繰り返す中一度だけ、やっぱりもう少し早く決断して手術すればよかった、と後悔した。

しかしすぐに、このお腹の痛みはもうすぐ可愛いわたし達の赤ちゃん(たとえ心拍が停止している状態でも)に会える痛みだ、と前向きに思うようになり、痛いのになにか不思議とあたたかいベールで守られているような感覚がした。

夜中の3時を過ぎた。

お腹の痛みとおさまる時間の間隔がどんどん狭まってきた。

「サトル君、赤ちゃんもうすぐ出てくるかもしれない」

起こすのはかわいそうだったが、やはり心細くてサトル君に声をかけた。

「んー・・・」

眠そうだったが、優しくわたしをぎゅっと抱きしめてくれた。

その後、どんどん血が大量にドバーッと一気に出るたびにナプキンの上に赤ちゃんが出ていないか確認しては変える、を繰り返した。

午前3時50分頃。

「あ、痛い痛い痛い!」

「大丈夫?」

オロオロと心配するサトル君。

「大丈夫じゃないけど、とりあえず一人で大丈夫!」

意味の分からない日本語で返し、お腹を抱えてゆっくりと風呂場へ行く。

風呂場にたどり着く直前のその瞬間だった。

スルリ・・・

何か、固形の物体を排出した感覚がはっきりとあった。血のような液体ではない何かを。この時、痛みは一切なかった。

ずっと続いていたお腹の痛みもその瞬間嘘のようにおさまった。

おそるおそる、下着をおろしてナプキンの上をのぞきこむ。

血の海の上で、半透明のような肌色のような何かが・・・

「サトル君、何か出た! 出てきたよ!」

驚いて風呂場からサトル君を呼ぶ。

ずっとそわそわと待っていてくれたのであろうサトル君が慌てて来てくれた。

おそるおそる出てきた物体を眺めた。

ちゃんと頭や体ができていて手足もあり目、鼻、口がしっかりある・・・

「赤ちゃんだ、赤ちゃんだよ〜・・・うっうっうっ・・・」

ナプキンをそっと取り外し、風呂場の床に置いた。

「赤ちゃん、本当に心拍停止していたんだ、夢じゃなかったんだ・・・どこかで生きてるって思ったのに・・・うわ〜ん」

子供のようにその場で泣き崩れた。

サトル君も一緒に大泣きした。

夜中なので静かにしなければいけないのに、そんな事を考える余裕が一切なかった。(ごめんなさい)

「可愛い・・・こんなに可愛いんだね」

サトル君が赤ちゃんを眺めながら言った。

言われて少し落ち着いて赤ちゃんを見ると、サトル君が言う通り本当に可愛い。可愛いくて可愛いくて仕方ない。

まるで小さなお人形のよう。

「こんなに成長してたんだね。可愛い、可愛いすぎるね」

あまりの可愛いさにわたしは、赤ちゃんに会えた嬉しさと、亡くした悲しみが同時にこみあげて、わけがわからなくなった。
赤ちゃんは両手で頬杖をつくような愛らしいポーズで目はぱっちり見開いていて口元はどことなく笑っているように見える。とても穏やかな表情をしていた。

「こんなに成長していたのに、やっぱりわたしのせいなんじゃ・・・わたしがめちゃくちゃ忙しい日、○○(バイト先のレストラン)で無理して働いたからだ・・・少し重たい野菜を数回だけど運んでしまったからだ・・・気をつけていたのに! わたしのせいだ、絶対わたしのせいだ」

「違うよ、まーちゃんのせいじゃないよ。きっと赤ちゃんがまーちゃんのお腹の中が居心地よくて幸せだったからこんなに成長してくれたんだよ。こんなに可愛いい赤ちゃんを出産してくれてありがとう」

サトル君の言葉にどれだけ救われたか。その後も今もずっと自分を責め続けているが、その度にサトル君が言ってくれた言葉を思い出す。

「まーちゃんすごいね。ひとりでこんなに可愛い赤ちゃんを産んでくれて。立派な出産だったよ」

そう泣きながら優しい笑顔でサトル君が言ってくれた。

当初は、わたしの体を心配して手術をすすめてくれていたサトル君だが、自然排出でよかったとふたりでその後話した。(わたしはたまたま何の問題もなく排出できましたが、出血の量など個人差はあると思うのでお医者様とよくご相談してください)

自然排出のおかげで夫婦でこんなに可愛い我が子の姿を見られた事は一生忘れないし、宝だ。

わたしは赤ちゃんの姿を携帯のカメラにおさめた。流産した友人が以前、自然排出した赤ちゃんの写真を撮った、と言っていたのを思い出していた。赤ちゃんの最後の姿を写真に残したいと思う母になった友人の気持ちをこの時やっと理解できた気がする。

赤ちゃんを病院で病理検査に出す可能性を考え、用意していたタッパーに、サランラップをしいて赤ちゃんをそっとのせて冷蔵庫に入れた。

「ごめんね、こんなに冷たい冷蔵庫に入れてごめんね・・・」

泣きながらわたしが言う。

その後、シャワーしてかかりつけの産婦人科に電話した。事前に、出血がひどい時や自然排出した場合などは夜中でも電話くださいと、ご親切に言っていただいていたのだ。

電話で応対してくださった看護師の方に自然排出した事とまだ出血が続いている事を伝えると、朝一で診察の予約をとっていただく事になった。

その時

「赤ちゃんも連れて来てくださいね」

と言われて、涙が溢れた。

「連れて」とひとりの人間として扱われた事が嬉しかった。あたたかかった。

出産した赤ちゃんとの別れは本当にもうすぐ近づいている。13週3日目までお腹の中にいてくれた赤ちゃん。

名残惜しくてさみしくて、冷蔵庫の中で眠る小さな小さな赤ちゃんの姿を何度も眺めた。

ちゃんと産んであげられなくてごめん。

大好きだよ、愛してるよ。

心残りがひとつあった。病理検査に出すため、赤ちゃんに素手で一度も触れずにいた事。

「なでちゃだめかなぁ」

わたしがサトル君に聞くと

「あんまりよくないんじゃない?」

「でも、今この子をなでないと後悔しちゃいそう。一度だけ・・・」

「うん、そうだね。まーちゃんがそう言うなら赤ちゃんなでてあげようね」

手を石鹸でしっかり洗って、冷蔵庫で眠る赤ちゃんの小さな頭をサトル君とわたしで順番にそっとなでた。

柔らかく、プルンとした感触だった。一生忘れない。愛おしくてたまらなかった。

そして一度だけ、冷蔵庫から赤ちゃんが入っているタッパーを取り出し、わたし達の枕と枕の間に寝かせた。

生きていたら三人でこうやって一緒に寝られたのに・・・。

かなしくてさみしくて仕方ない。


その数時間後。朝一でかかりつけの病院で診ていただくことになり、病理検査に出す赤ちゃんを連れてサトル君と家を出た。

コロナ禍で、本来は旦那さんの付き添いはお断りとの事だったが、流産したこの日だけは事情が事情なので旦那さんとぜひいらして下さいと言っていただけた。ひとりは辛すぎたので本当によかった・・・。

タクシーを事前に予約しようといくつかのタクシー会社に電話したが、空いていなかったり、一時間以上待つとの事で予約できなかった。

そのため、自宅の最寄り駅まで歩いている途中、運が良ければ走ってるタクシーをつかまえてのせてもらおうという事になった。

流産した直後だが、体調はわりと安定していた。

雨が降っている。

わたしは、可愛いキャラクターもののタオルでくるんだ赤ちゃんが入ってるタッパーを抱きしめるように手で抱えながらゆっくり歩いた。大切に大切に守るように・・・。

「寒いね」

とサトル君は言うが、不思議とこの時寒さをわたしは感じなかった。

赤ちゃんを抱っこしていたからか、不思議なあたたかいなにかに包まれていたような気がする。

最寄り駅に行く途中、満開の桜が咲く場所を通過した。雨に濡れてしっとりとした美しい桜。もうすぐ散りゆく桜。なんて儚いんだろう。

その後、結局空車のタクシーに出会う事ができず、電車に乗り産婦人科に向かった。

電車の中でサトル君に赤ちゃんが入ったタッパーをくるんだタオルを抱っこしてもらった。

「赤ちゃんがお腹にいるのってこんな感覚なのかな、なんか不思議だね」

サトル君がそう言った。

「めちゃくちゃ幸せだったよ。今も赤ちゃんがここにいるね。幸せだよ」

悲しくて仕方ないのに、自分に言い聞かせるようにわたしが言った。

病院に到着すると受付の方が

「よろしければ、こちらでお預かりしましょうか。それとも直接院長先生にお渡しされますか?」

と、わたしが抱っこするように大切に抱えていた赤ちゃん(を入れたタッパーをくるんだタオル)を見て言ってくださったが

「大丈夫です、ありがとうございます」

と涙をこらえて返事した。

もう少しだけ、あともう少しだけ赤ちゃんと一緒にいさせてください・・・。

診察前に、周りに誰もいなかったのでもう一度だけ最後にそっと赤ちゃんの姿をサトル君と見た。

可愛いくて可愛いくてたまらないわたし達の赤ちゃん。離れたくない。このままずっと時が止まればいいのに。

その後、診察室に呼ばれて赤ちゃんを病理検査のため渡した。

これが本当に本当に最後のお別れになるのかもしれない・・・。

エコーで子宮の中を診ていただくと、残留物もほとんどなく手術の必要はなさそうとの事だった。

子宮収縮剤と痛み止め、感染予防に抗生物質の三種類、薬をだしていただき、また一週間後に病院に来てくださいと言われた。病理検査の結果もその時に分かるとの事だった。

※流産が赤ちゃん側の問題である染色体の異常を調べる流産絨毛染色体検査は、手術の時のみできるとの事で自然排出ではできない。

診察が終わって、赤ちゃんとお別れした病院を後にして家に帰る。

まだ雨はずっと降り続いていた。

寒い・・・・・・・・。さっき赤ちゃんが手の中にいた時は寒さを感じなかったのに・・・・・・・・。

さっき赤ちゃんがまだいる時に通ったこの桜並木が見える場所。

ああ、もう本当に赤ちゃんはいない。

いないんだ・・・・・・・・。

世界から色が消えて桜も心も全て灰色になったかのよう。お腹をなでてももう赤ちゃんはいない。

ものすごい喪失感がわたしを襲った・・・・・・・。

2022年4月5日。流産してまだ一日しか経っていないのに、やけに長く感じた。

出血はまだずっと続いている。

流産した翌日だというのに、体調はそんなに悪くはない。

昨日も今日も一緒にサトル君とたくさん泣いた。

一生分泣いたんじゃないかってくらい。

サトル君は朝早くいつものように仕事へ行き、わたしもバイトへ行く準備を始める。一見普段通りの日常だが、わたし達は小さいけれど、大きな、とても大きな存在を失った。わたし達の可愛い赤ちゃん。

わたしはずっと流産した理由が、自分にあるのではないかと責め続けていた。

バイトには行ったが、心が限界だった。

その日、なんとか仕事をこなしランチのバイトを終えた後、初めてサトル君の新しい職場に行く事になった。

今は一人になりたくない。

サトル君がワンオペで働く都内のラーメン屋。

ラーメン屋に向かう途中、ある事を後悔した。

(お腹に赤ちゃんがいる頃に一度でも行けばよかったな)

何をしていてもどこにいても、いなくなった赤ちゃんの事を考えてしまう。

ちょっと前までずっと胸が張っていたのに今は一切なくなりさみしい。

お腹に赤ちゃんがいた時、とにかく幸せで仕方なかった。

稽留流産と宣告される前、つわりで気持ち悪いのに、赤ちゃんがいると思うと幸せだった。

残酷だが、稽留流産で赤ちゃんの心拍が止まった後もつわりなどの症状が続く事があるという。

それを妊娠したばかりの頃から知っていても、つわりがあると妊娠してる事を実感して幸せを感じていた・・・。

サトル君が働くラーメン屋に着いた時、夜と昼の間ような微妙な時間帯だったのでとても空いていた。

仕事着を着てラーメンスープをかき混ぜるサトル君の姿を見ると、なんだか感動した。

(この人も、ずっとこの数日間泣き叫んだくらい悲しい思いをしたのに、頑張って生きてるんだ)

サトル君が作るラーメンはあたたかくてめちゃくちゃ美味しかった。



「わたし、パパのラーメンのファンになりそう」

サトル君の事は、サトル君、と呼ぶ事もあれば、パパ、と呼ぶ事もある。実はこのパパ、と呼ぶ習慣は妊娠するずっと前からである。

「今日のスープは美味しいでしょう」

誇らしげにサトル君が言った。

世界一優しい味がした。

それから時間がまた流れて2022年4月13日。

この日は、エコーで経過を診ていただくのと病理検査の結果を聞きに行く。

流産した日からもうすぐ十日ほど経つというのに、わたしは相変わらず気持ちがずっとふさぎこんだままだった。

時間がある程度たてば、次第に泣かなくなり前を向けると思っていたが、毎日毎日泣いていた。

赤ちゃんが元気だった頃のエコー写真や自然排出の進行流産ででてきた赤ちゃんの写真を眺めては、可愛い可愛いと言って泣いた。

とにかくずっとあの稽留流産と宣告された日から時間が止まっていて一歩も前に進めていない気がした。

「子宮の中は綺麗になってますね」

エコーで院長先生に流産後の経過を診ていただきそう言われた。

空っぽになった子宮の中をうつすエコーは前回同様虚しさを感じたが、院長先生の言葉にほっとした。

病理検査の結果も異常はなかった。

渡された検査結果の紙に、赤ちゃんの体のイラストとサイズが書かれていた。

赤ちゃんは4cm近くまで成長してくれていた・・・。

帰り道、産婦人科を同じタイミングで出たお腹の大きな妊婦さんが同じ帰り道なのかわたしの後ろを歩く。

妊娠さんは嬉しそうに電話で誰かと話しながら歩いていた。

わたしは妊娠さんが歩く前で早足になり、泣いてしまった。

泣いてばかり。

ほんの少し前までは電車や道端で妊婦さんやベビーカーを見かけると嬉しくてたまらなかったのに。

今はつらい。つらくて仕方ない。

こんな負の感情を抱いて自分は嫌な奴だな、と思った。

毎日見ていたSNSからも一旦距離を置いて見なくなってしまった。

今は少しずつだけど、回復していってる気がする。

2022年4月14日。

進行流産後の経過のエコーで、子宮内が綺麗になって完全流産になったのを確認できた翌日。

気持ちがなんとなく以前より落ち着いたのは、二週間近くずっと続いていた出血がようやくおさまったからなのもあった。

バイトの後、この日もまかないを持ち帰り用のタッパーにいれて、サトル君が働くラーメン屋に行く。

サトル君のラーメンは本当に美味しい。

近所にあれば、間違いなく常連客になっていただろう。

「美味しい」

この日も雨で寒かった。そんな日のラーメンはまた格別だ。

サトル君が仕事終わるまで店内で待ち、一緒に帰る。

その帰り道。

突然、大浴場と朝食バイキングのある都内のホテルに泊まる事になった。翌日は二人とも休み。

数日前から、ずっと気分転換になるか分からないけど、都内のホテルに泊まりたいね、と話していた。条件は大浴場と朝ごはんバイキングがついている事。

しかし、その頃はまだ進行流産の途中で出血も続いていたため予約はしなかった。

それなのに、この日突然ホテルに泊まることに。

わたしの出血がおさまってるのと、前日子宮内が綺麗になっている事を確認できたからだ。

温泉とサウナがある大浴場付きの綺麗なホテル。

何も用意していないので、コンビニと薬局をはしごして化粧落としや化粧水、お酒を買う。

流産してからもわたしはこの日まで一切お酒を飲んでいなかった。まだ体が妊娠していると錯覚しているかのように飲みたくならなかった。

しかし、この日一月以来初めてお酒を飲もうとなんとなく決めた。

風呂上がりのお酒。数ヶ月間飲んでいなかったからか、お酒がかなり弱くなり、全然飲めなかった。(写真のお酒はほとんどサトル君が飲みました)

しかし、少量のお酒で酔いが回って、赤ちゃんの事を思いながら大号泣してしまった。

サトル君もわたしを抱きしめながら泣いた。

お酒を飲んでゆっくりしてから夜鳴きそばを食べに行く。

このホテルの名物?らしく、無料で食べられる。

サトル君が作ってくれたラーメンを食べた日にまたラーメン。贅沢だなぁ。

あっさりとして美味しかった。どこか懐かしい味がした。

夜鳴きそばを食べた後はまたサトル君と一緒に大浴場へ。

内風呂と露天風呂とサウナがある充実した大浴場。小雨が降る中わたしは露天風呂でぼぉーっと空を眺めた。

お風呂に浸かりながらまた静かに泣いた。

こんな時間もいいな、とふと思う。悲しくて悲しくてふさぎこみながらお家で泣く時間もわたしには必要だったけど。


お風呂とサウナでリフレッシュして部屋に戻る。

コンビニで買っておいた牛乳を飲んだ。

風呂上がりの牛乳は格別だ。

なんて美味しいのだろう。

翌朝は起きてお風呂に入った後、バイキングの朝食会場へ。

種類がとても豊富で美味しそう。

なんといくらが食べ放題。まるで夢のような朝食。

デザートも美味しかった。

都内で働くふたりが都内のホテルに泊まる。

たった一泊なのに、旅行で遠出しているかのような気分でかなりリフレッシュできた。

以前も都内のホテルに泊まった事があり、とても楽しかった事を思い出した。

その時の話はこちらからお読みいただけます。

なぜ、稽留流産で自然排出した話から、都内のホテルで一泊した話を書いたかというと、わたしの中で全部つながっているからだ。

流産して、立ち直れないと思ってずっとずっと泣いてばかりいたが、場所を変えたり、いつもと違う気分転換になるような事をして、かなり救われた。

また、流産したわたしの事を心配してくれた親友から

「辛い分、きっと幸せがくる。今は泣きたいだけ泣いたらいい、辛いに決まってる。聞いたわたしでも辛いんやから」

とメッセージをもらった事もかなり支えになっている。

もうひとりの親友も、わたしと赤ちゃんのために泣いてくれた、と言ってくれた。

親友ふたりにも赤ちゃんがいて、わたしは大好きな親友が幸せである事を心から嬉しく思う。

SNSでも、あたたかい言葉をかけてくださった方が数人いらっしゃって、かなり救われました。

悲しい気持ちを共有していただき申し訳ないのもありますが、それ以上に感謝と支えられている気持ちが大きいです。ありがとうございます。

少しずつ、一歩一歩進んでいこうと思います。

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